韓国の古代史の本を読むと、我々日本人には馴染みのない国名が出てきます。その一つが「辰国」です。 「辰国」というのは、韓国のウィキ百科事典によると次のように説明されています。
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辰は紀元前4世紀から紀元前2世紀頃、青銅器および初期鉄器文化を基礎として朝鮮半島中心部地域に存在した初期集団として古朝鮮と共存し、以後に馬韓、弁韓、辰韓の三韓として鼎立したものと見られる。‥‥辰国は三韓の各部族の名称が生じる以前にあっただろうと推定される辰王勢力の部族連盟体である。 紀元前4世紀〜3世紀頃から金属文化が漢江以南に伝わって南朝鮮の原始社会が崩壊し、新しい政治的社会が成立したが、これを辰国という。
時代はB.C.4世紀〜2世紀ですから、日本では弥生時代前期〜中期前葉に相当します。 卑弥呼の邪馬台国よりも500年も昔のことになるのですが、この時期にお隣の朝鮮半島では「辰国」という国があったということです。 へー!?本当かな? 何を根拠に言っているのだろうか?という疑問が湧きます。 調べてみると、これは『三国志』東夷伝と『後漢書』韓伝にありました。
平凡社東洋文庫『東アジア民族史1』の現代語訳を提示します。 まずは『三国志』韓伝です。 『三国志』は3世紀の呉魏蜀を扱ったとものですが、この三国滅亡直後に陳寿が編纂しました。 同時代資料に近いもので、史料的価値は高いとされています。
[韓には]三種があり、一を馬韓、二を辰韓、三を弁韓といい、辰韓は昔の辰国である。‥‥辰王は月支国[に都をおき]統治していて ‥‥‥『魏略』は[次のように]伝えている。‥朝鮮の宰相である歴谿卿は東にすすみ、辰国に入った。(196〜197頁、201頁)
[辰韓の]十二国は辰王に臣属している。 辰王は常に馬韓人を用いている。[辰王は]代々相次いでいるが、辰王は自分みずから[の意志で]王になることはできない。 『魏略』では、つぎのように言っている。 明らかに[辰韓人は]他の所から移り住んだ人たちである。 それ故に馬韓のために[辰韓が]制御されているのである。(272頁)
これに基づいて、5世紀の范曄が『後漢書』韓伝では次のように記しています。
[韓の]地は全体で四千余里四方である。‥‥[これらの国々は]みな古の辰国[の領土]であった。 [韓のなかでは]馬韓がもっとも強大で、[三韓]はともに[馬韓]の種族をたてて辰王とし、目支国を都とし、三韓をことごとく支配した。 [三韓の]諸国の王の始祖は、すべて馬韓種族の人だった。(189〜190頁)
「辰国」の根拠となる史料はこれだけです。 「辰国」の始まりは邪馬台国の時代よりはるか以前の話になります。 そして邪馬台国時代である3世紀には、「辰国」は朝鮮半島南東部にあった辰韓になってしまっており、王は何故かしら馬韓人であり、王のいる首都は辰韓ではなく馬韓の中にある月支国だと話になります。 さらにこの話が後の5世紀の范曄によって、かつてあった「辰国」は馬韓・弁韓・辰韓すべてを支配していたというように変わった、と推測できるだけです。 それ以上は皆目分かりません。
後漢の王朝は1〜3世紀ですから、『後漢書』は200年も経ってからの編纂になります。 范曄が『三国志』を参照しながら、自分の解釈を書き加えたと見た方がいいようです。
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