以上により「辰国」については、やはり『三国志』が初見であり、『後漢書』はこれを改作して「辰国」が朝鮮半島南部を支配していたような歴史像を作り上げたものと推察されます。
ところで韓国の一般向け歴史書では「辰国」は次のように説明されています。
箕子朝鮮に属するさまざまな小国の支配勢力は、各自が一定の星を自己の集団を象徴とする慣習があり、彼らが樹立した朝鮮を他の名前で「星の国」すなわち「辰国」と呼んだ。 多くの小国が地域ごとに辰韓・馬韓・弁韓の三韓としてまとまり、三韓全体を辰国と称し、三韓のなかで最も大きな勢力を保っていた辰韓から、辰国すなわち三韓全体の王である辰王(箕子)を推戴する仕組みであった。 衛満に国の中心部を奪われて東に追いやられた箕子朝鮮の人々は、自分の国を辰国と呼んで衛満の朝鮮と区別した。 (徐毅植ほか著『日韓でいっしょに読みたい韓国史』(君島和彦ほか訳 明石書店 2104年1月 29頁の本文)
後期の箕子朝鮮を辰国と呼び、辰国を形成した三つの連合体に属した小国の一部が個別的に南下して韓半島南部で三韓をつくりあげた」 (同上 29頁のコラム)
著者は韓国の大学で教鞭をとっておられる有名な歴史家の方々ですが、ほんのわずかの史料からここまで話を広げていいのか、余りにも想像たくまし過ぎて、疑問を抱きます。
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