7月28日の拙ブログで、金時鐘さんの法的身分について疑問を呈しました。 [URL]
金さんの数ある著作の中で、これに関連する記述があるのを見つけましたので紹介します。 金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(平凡社ライブラリー828 2015年4月)
金石範: 彼(金時鐘)は、両親を置いて済州島から逃げてきて、親も亡くなっているし、(外国人)登録証の「林大造(イム・テジョ)」も本名じゃない。 金時鐘は本当の名前だけれども、それを客観的に証明するものは何もない。私は、そういう事情を知っているからね。‥‥(195頁)
金時鐘: ‥‥ 後日、墓参の折、妻が僕の家族関係の写真が一枚でも残っていませんかと聞いたのね。 そしたら、この40年間墓守をしてくれている甥が、とたんに自分の胸を叩きながら泣きだしてね、「な、テリョジュプソ(どう か私を叩いてください)‥」と言ってね、「みんな燃やしてしまいました。何も残っていません」と言って謝るんですよ。‥‥ 金石範: 時鐘につながる証拠のようなものはすべて焼いてしまった。残して見つかったら、捕まって殺られてしまうじゃない。だから、私を叩いてくれって謝ったわけや。(198〜199頁)
金時鐘: ‥‥なぜ私は4・3関係を隠して口にしなかったか、そのことから話すと‥二つ理由があります。‥‥ もう一つは、やむ得ない事情でこちらに来たにせよ、4・3事件で追われて来たことを明かすということは、不法入国者ということを自ら名乗り出るということでもあるのですから。 金石範: 時鐘は、北で生まれているから出生記録もないだろう。 この人間(金時鐘)の存在を証明する書類は何もない、時鐘は幽霊みたいな存在じゃないか。それが今回やっと済州島に本籍ができて、幽霊が人間になったようなものだけど、どうやって、韓国に戸籍を作ったんや。 金時鐘: ‥‥当時の在大阪副総領事、情報部の責任者である外交官ですが、親の墓参りを続けたいという僕の思いを殊のほか親身に受け入れてくれて、国籍取得の方法まで講じてくれました。 外国人登録証名での新たな戸籍の取得を大法院に申請して、裁可を受けてくれたのです。「金時鐘」では、手続きが複雑すぎて駄目だとのことでした。 それでも特別な計らいであったようには思っています。 戸籍は他人が使用している住所でなければ、韓国のどこでもいいと言ってくれていましたが、済州島以外に故郷を作る気などないしな。 ‥‥文京洙: 領事館も、金時鐘先生だから特別にしたんでしょう。(200〜201頁)
文京洙: 韓国に戸籍を作って韓国籍を取られて、韓国との関係はそれで決着がついたわけですけど、日本の入管法との関係はまだ解決していないですね。 金時鐘: 韓国籍を取ったとき、挨拶状を2003年の12月10日付で出しました。その挨拶状をどこで見たのか、大阪府警外事課の警官がすぐさま問い合わせに来ました。 私の家までです。 登録証の名前と「金時鐘」との違いをあれこれ聴いて言いましたが、「金時鐘」はペンネームだと言い張りました。(201〜202頁)
今のところの資料が金時鐘さんの著作だけであり、日本の当局(警察や入管)、韓国の当局(領事館や法院等)の資料がないので、確かなことは分かりません。 金時鐘さんの言い分だけを読むしかないのですが、それでも様々な疑問が湧きます。
@、金時鐘さんは1949年の密入国以来「林大造」に成りすまして生活してきました。 この「林大造」は実在の人物だったのかどうかが気になるところです。
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