在日朝鮮人小説家であり古代史研究家であった金達寿。 彼は日本において韓国や朝鮮に関心が非常に薄かった1958年に岩波新書から『朝鮮―民族・歴史・文化―』を刊行しました。 これが1970年代初めまでの日本における韓国・朝鮮の唯一と言っていい入門書でした。 また1970年代から『日本の中の朝鮮文化』というシリーズものの古代史本も出していました。 在日朝鮮人として超有名人だったのですが、25年前に亡くなっておられます。 今の若い人では知らない方が多いでしょうねえ。 関心のある方は検索してください。
彼には自叙伝として中公新書『わがアリランの歌』(昭和52年6月)があります。 ところで、そこには載っていない思い出話を見つけましたので紹介します。 『朝鮮研究 月報 第7・8月合併号』(1962年8月 日本朝鮮研究所)にあったものです。
私自身のことをお話しますと、私は1930年に満10才で日本に来たのですが、その数年前に両親や兄弟は日本に来ていて、僕とおばあさんと2人だけ故郷に残って日本からの仕送りで暮らしていた。 その間7〜8才の頃ですが、色々聞かされたおばあさんの話に忘れられないものが多いんです。 その中で日本人についての話は、甚だ面白くないでしょうが、日本人は「夷狄」であるという考え方です。 無知なおばあさんですが、小中華意識から「倭人」を見ているんです。 日本人のことをみな「ワエノム」(倭奴)と呼んでいました。 その「ワエノム」に国を盗まれて‥‥というわけです。
日本人は飯を皿に盛って箸で食う野蛮な連中だという話がありました。 これは、数時間もっておいても暖かい鍮器の器で、匙を使うのが原則、箸はおかずをつまむものと考えている朝鮮人の感覚からいうと、まずいことです。 それには、昔、日本人が朝鮮人に「我々もあなた方のように白い飯を食おうと思うが、どんな器を使いましょう」とお伺いをたててきたので、お前らのようなつまらん奴は皿ででも食ったらよかろうと言ってやった、それでそうなったのだというような説明がありました。 もっとも皿というので私は小皿を想像していたのですが、日本に来てみると茶碗のことだったが。
それからまた、何か被りたいがとも聞いてきたので、ポスム(靴下)でも被れと教えてやったら喜んで被っているというのもあった。 烏帽子のことですが、なるほど形が似ています。 このような話は壬辰の役(秀吉の朝鮮出兵)などの時に愛国心を高揚するためにもできたのでしょうが、とにかく庶民の意識の中にそういうものがあって、その話を子供に語りきかせるので、自然にそういうイメージができていく。
そして近所の子供同士でも日本人は人食い人種だぞと言い合うわけです。 僕の村のそばの中里という駅の前に日本人のお菓子屋さんが一軒だけありましたが、「あそこの日本人は生首を塩漬けにして部屋の中においている。日本人はそういうことを平気な野蛮な人間だ」ということで、朝鮮人の村の子がそのお菓子屋に入って食べることはありませんでした。(以上 2〜3頁)
朝鮮人が日本人に対して有する侮蔑的意識は、へき地農村といえるような所でも口伝で代々受け継がれてきたようです。 紹介した話は100年も昔の1920年代植民地時代に金達寿がお年寄りから聞かされたものですが、そのなかにある日本への侮蔑的意識が現在の韓国・北朝鮮での反日に繋がっていると言えるのかも知れません。 ですから朝鮮半島の現在の反日は古来から受け継がれてきたものであり、解放後はそれぞれの政府で増幅されたと考えられるでしょう。
これ(日本に対する侮蔑)は、日本を小中華意識のメガネでみていたということですが、日本は(朝鮮人の)封建的儒教意識・慣習を支配の手段として温存しなければならなかったため、同時に皮肉にも夷狄意識も温存されたわけです。
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