ここは何とも言えないところです。 日本は「封建的儒教意識・慣習」を利用したのではなく放置した、と私は考えるのですが、どうでしょうか。
私はその後日本で学校を出て、1940年代になってから京城に就職していったわけですが(小・中学校教育から日本で受けて卒業してから京城へ行くというのは、普通とは逆のコースでした)、驚いたのは京城の町では、農村と違って瓦屋根と高い厳重な塀で内部をうかがい知れない建築構造になっていることです。 これを、一緒に下宿していた金鐘漢という詩人は徹頭徹尾「ドロボウ」を防ぐためと主張していましたが、ともかく、外へ出て役所に行く時などは日本人とも話をするが、塀の中では他者をよせつけず、李朝時代のまま生活を続けていました。
「瓦屋根と高い厳重な塀で内部をうかがい知れない建築」というのは朝鮮人のお金持ちの家のことで、おそらく京城に住む不在地主でしょう。 その金満家では、古くからの伝統をそのまま受け継いだ家庭が営まれていたのでした。 戦後(韓国では光復後)、韓国でも日本同様に農地解放が施行されましたので、不在地主は消滅しました。 「不在地主」なんて、今はもう死語ですね。
ところで、みなさんは朝鮮人というと在日朝鮮人によってイメージをもたれると思いますが、在日朝鮮人について考えねばならないことは、玄界灘を裸一貫で渡ってきた連中は、多くは農民だが、故郷を出るとき、恥や外聞というか小中華意識・東方礼儀の国の国民という意識を故郷にあずけて日本に来たということです。
日本で働いてもうけたら早く故郷に帰り、取られた田畑を買い戻すという考え方が殆どでした。 2世、3世などの場合はともかく、少なくとも1世の我々世代の親達の世代の場合は。 だから意識も非常にプライドがあり、閉鎖されたものがあって、朝鮮の農民の意識とそう変わりがないと言えます。
金達寿によれば、朝鮮人農民は植民地時代に日本に出稼ぎに来て「小中華意識・東方礼儀の国の国民という意識」から一旦は離れるのですが、やはりいつかは故郷に帰ると考えていたので、その意識は変わらなかったということです。
基本的な朝鮮人の意識は統治期間を通じて変わらなかったと言えます。 逆説的に言えば、日本がもっと近代的な仕方で統治したら民族意識を減殺されたのではなかろうかとも言えます。(以上 3頁)
日本は植民地統治のなかで朝鮮の古くから牢固としてある民族意識を変えられなかった、しかし近代的な統治をしていたらそういう民族意識は減殺されただろう、というのは金達寿の見解ですが、どうなんでしょうねえ。 私は近代的な統治をしても、民族意識というものはなかなか変わるものではないと考えているのですが。
【拙稿参照】
金達寿さんの父が渡日した理由 [URL]
金達寿の「族譜」 [URL]
伝統的朝鮮社会の様相(2)―両班階級 [URL]
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) [URL]
「韓」という国号について(2) [URL]
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