50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(3)
2023-03-05


[URL] の続きです。  

朝鮮についていうならば、日本人向けの朝鮮人の言葉(それはほとんど批判になりますが)が多くなればなるほど、日本人の応援団″が増えるということになります。‥‥

このことは、われわれ日本人の倫理的脆弱さと表裏をなしています。 前述のカッコ付き反省にもとづく偽善的かつ感情的な「完全悪」のタテマエから発する非主体的態度です。 朝鮮のことは朝鮮人のお墨付きがなければ何も言えない――逆にお墨付きを得れば「連帯」などという言葉をかかげて、居丈高に他を攻撃するといった姿勢です。(以上 144〜145頁)

 朝鮮問題で、日本人側は「朝鮮人のお墨付きがなければ何も言えない」という風潮は強固にありましたねえ。 朝鮮人は上位、日本人は下位″という立場は絶対的でした。 そして日本人は「朝鮮人からお墨付きを得れば『連帯』などという言葉をかかげて、居丈高に他を攻撃する」。 俺にはバックに在日様がおられるのだぞ、という心理状態ですね。 

日本人の反朴運動の集会などで、よく「私は今まで朝鮮について何も知りませんでした。 それを恥ずかしく思い、これからは皆さんとともに学び、皆さんとともに闘いの列に加わっていきます」といったことが語られ、それに万雷の拍手が沸いたりします。 何も知らなかったことの告白が、これほど昂然となされ、それが良心の証しとなるようなことは、朝鮮問題についてだけではないか‥‥(147頁)

 「反朴」の「朴」とは、当時の韓国大統領であった「朴正煕」のこと。 日本各地では、軍事ファッショの朴政権に反対する集会がたくさん開かれていたものでした。 そういう集会に日本人がマイクを持って「私は朝鮮について何も知りませんでした」と言って、それが「良心の証し」だと歓迎される、そんな時代でした。

(在日朝鮮人の)若者たちは、おのれが誇りをもって生きる道を模索しているにもかかわらず、提供されるのは、日本―朝鮮の「関係」ばかり‥‥なぜこうも日本人が、朝鮮人にとってエッセンシャル(必要不可欠)な存在のように立ち現われなければならないのか――というのが小生の疑問です。(149頁)

 上述したように、朝鮮人が上位、日本人は下位″という立場の中でのみ、朝鮮問題や在日問題が語られたのでした。 つまり朝鮮人は日本人との関係のなかに自らの民族的アイデンティティがあるということです。 別に言えば、韓国・朝鮮人は日本人がいてこそ、初めて自分の優位さを誇ることができるということになります。

 在日や朝鮮問題の集会・講演会などで、在日活動家がマイクを持って「日本は昔こんな悪いことをした」と延々と喋るという場面がよくあったものでしたが、これを思い出しますね。 そういう過去の歴史を持ち出すことによって日本人たちをひれ伏させ、自分たちの優位さを確認して満足するという姿でした。 また在日活動家が自分に寄り添ってくる日本人に向かって、「差別者であるあなたは‥‥」「あなたたち日本人は昔悪いことをしたのだから‥‥」と言うのもしょっちゅうだったのです。 こういう在日にとっては一時的な優越感で、刹那的な快感だったろうと思われます。

 このような韓国・朝鮮人と日本人との間の上下関係は、現在までも引きずっていると言えます。 田中明さんは在日問題に関わる運動の状況を正確に見通していたと考えます。 (終わり)

【田中明に関する拙稿】

「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明  [URL]

「例外」が終わり「通常」に戻る―田中明(2)  [URL]

50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) [URL]

50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(2)[URL]


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