「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明
2022-06-07


 これまで韓国の進歩勢力(586運動圏等)は李朝時代の両班の再来であり、韓国は両班社会の道を歩んでいるとするキム・ウンヒ博士の所論を紹介しました。

「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)[URL]

李朝の「両班」理念が復活した韓国(2)  [URL]

李朝の「両班」理念が復活した韓国(3) [URL]

 これによく似た主張をしたのが、かなり古くなりますが、田中明さんです。 田中氏は1970年〜2000年代初に韓国に関する論考や本を多数書いていました。 そのうちの一つが『韓国政治を透視する』(亜紀書房 1992年11月)で、1961年の軍亊クーデター以前の韓国社会を「通常」、クーデター以後を「例外」として論じ、前者の「通常」が両班社会だとしています。

 まずはこの「通常」から、紹介します。 これは解放(1945年)以後、軍事クーデター(1961年)までのことです。

韓国の「通常」とはどういうものだろう。‥‥ ある社会において「通常」とは、その社会がムリなくおのずと醸し出した、それゆえにその社会の土壌にぴったりと合った、人間の存在様式と言っていいだろう。 韓国政治における「通常」とは、保守有産層の人々が離合集散しつつ繰り広げてきた権力争奪戦だった。(5頁)

解放直後から延々と命脈をたもってきた韓国の政党は、共産勢力の進出に危機感を抱いた地主・事業家・官僚らによって作られた韓国民主党の流れで、金泳三氏や金大中氏(民主化勢力である)もそのなかで政治家になる腕を磨いてきた。‥‥ この人たちは、おおむね王朝時代の支配層・両班の家門に属する人びとであり、おのずから伝統的性格を色濃く有していた。(5頁)

この両班というのは‥‥自分が民を教化し支配する有資格者であると信じて疑わない人びとだった。彼らは‥大義名分(イデオロギー)を論じることには長じていたが、概して実用の学には弱く、肉体を使う武事や労働を卑しんだ。‥‥富国強兵という課題を担わざるを得なかった近代国家の経営者の資質としては、望ましいものではなかった。 ‥‥解放韓国の政治を担った人たちは、伝統社会から両班の作風とその政治感覚を濃厚に受け継いでいた。(5〜6頁)

 1945〜61年の間、両班の遺風を受け継いで韓国政治を担っていた「保守有産層」が、この「通常」の時代の主人公でした。

 その次は「例外」です。 1961年軍事クーデター以降の時代となります。

1961年、朴正熙将軍らによって起こされた軍事クーデターと、それによって生まれた軍人政権は、朝鮮半島の政治・文化史上、まことに稀有なものであった。 あの国の歴史のなかに軍人政権の前例を求めようとすれば、700年前の高麗時代後期まで遡らなければならない。 以来、李朝500年を間において、文民優位・武人蔑視の風潮で貫かれてきたのが韓国社会だった。 従って、あのクーデターでは軍人という〓人種″が執権するなど考えられないところだった。(3〜4頁)

クーデターの実行者たちは、そうした(両班の遺風を残す)旧い政治家、旧い政治風土への異質な挑戦者だった。 開発途上国の多くがそうであったように、当時の韓国でも、軍人は最先端のテクノラート集団だった。 大規模な組織管理や、政策の企画策定にかんする訓練を体系的に積んだ集団は他になかった。 そして何よりも彼らは、体を使うことを厭わぬ実践家だった。(7頁)


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