韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(3)
2022-07-05


[URL] の続きです。

 小倉さんは、韓国と日本とでは「道徳」「法」が違うと論じます。

「道徳」「法」などという語彙を日本語と韓国語は共有しているが、これらが「両社会で同じ意味内容を持つ」と誤解するとき、日韓の対立が大きくなる(28頁)

 「道徳(〓〓)」や「法(〓)」、日本と韓国とでは同じ言葉を使っていても、内包している意味が違うのです。 朝鮮人と日本人は区別がつかないほどによく似た人種ですが、歴史も文化も違う民族です。 この二つの民族が同じ釜の飯を食って運命を共にしたのは、植民地時代の35年間だけです。 それ以前の数千年間、そしてそれ以後の数十年間は別社会として両民族は過ごしました。 従ってたとえ同じ言葉でも意味が違うのは、もう当たり前でしかありません。 それを同じだと思い込んで話し合えば、違和感さらには葛藤するのは当然です。 

「日本では法が重視され、韓国では道徳が重視される」という認識‥‥ この場合に、韓国に対する蔑視や軽視の視線は介在していない。(31頁)

 小倉さんは日本の法重視と韓国の道徳重視を並べて、韓国は間違いで日本の方が正しく優れていると考えることは危険だと忠告します。

ところが日本の嫌韓派は、この認識をよりどころにして、韓国蔑視をしている。 これが危険なのだ。‥‥ 「日本と違って韓国の民主主義は法を軽視するのでレベルが低い」と単純に考えるのは危険だ。(31〜32頁)

 なぜ危険か。 世界標準的(グローバルスタンダード)に見ると、日本は韓国に完敗する可能性があるからです。

韓国の法的な交渉力は、グローバルスタンダードに照らし合わせて、きわめて高いレベルにあるのである。徴用工や慰安婦の問題に関しても、国際司法裁判所などの法的判断にゆだねれば日本の主張が必ず認められる、と日本政府や保守派は考えているのかも知れないが、それは甘い。 むしろ日本が完敗する可能性すらある。 その理由は、日本のリーガル(合法性とか順法とかの意味)精神よりも韓国のそれのほうがずっと進んでいるからだ。(32〜33頁)

たとえば日韓基本条約と請求権協定、慰安婦合意などに対して「合意は拘束する=守られなければならない」という原則論のみを押しの一手で主張しても、負けるときは負ける。(33〜34頁)

慰安婦問題に関する韓国の地裁判決に対して「主権免除の原則(外国の主権的行為に対する損害賠償は認めることはできない)」のみを唱えても、負けるときは負ける。(34頁)

 なぜ負ける可能性があるのか。 それは、今の世界では「正義を取り戻そうとする潮流」が展開されているからだと小倉さんは説きます。

19世紀から20世紀前半にかけて支配と被害を受けた側がいま、正義を取り戻そうとする潮流がグローバルに展開しており、国際的な司法もそれに呼応しつつある。 つまり法の世界がいま、「正義の回復」というメガ・イシューをめぐって攻防している。 これは、政治学・政治思想・法学などの世界で「移行期正義」といわれている概念とリンクした動きだ。(35頁)

独裁や強権支配や紛争状態から解放されていく過程において、どの国も統治権力によっておびただしい人権蹂躙や暴力が行使されてきた。 その犠牲をそのままにせず、過去に踏みにじられた人権の回復を目指そうというのが「移行期正義」である。 正義を取り戻す際に、政治や法を道徳的な要求に呼応できるものにかえていかなくてはならない。 「法の道徳化」という現象がグローバルなレベルで起こっているのだ。 これは韓国人がもっとも得意とするベクトルである。(35〜36頁)

 「日本の法」「韓国の道徳」という言葉で論じてきましたが、小倉さんは世界では「法の道徳化」現象が起きていると説きます。 そしてそれは、「韓国人が最も得意とする」ところなのです。 


続きを読む


コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット