同和住宅の家賃
2021-12-17


 30年ほど前でしたか、全国連のパンフを読んだことがあります。 「全国連」なんて知らない人がほとんどでしょう。 1990年頃に、部落解放運動組織である部落解放同盟構成員のうち、中核派の人たちが他の同盟員と対立して独立した組織を作りました。 それが「部落解放同盟全国連合会」というもので、略称を「全国連」と言っていました。

 その全国連が当時力を入れていたのが「同和住宅家賃値上げ反対」闘争です。 私はその全国連のパンフが友人の家にあったのを読んだのでした。 友人は全国連の人間ではなく、こんなパンフが配られているのをもらって、捨てずに家に持ち帰っていたのでした。

 「同和住宅」というのは同和対策事業で建設された公営住宅のことで、部落民(と認定された者)はこの住宅に入る権利が得られました。 行政がこの住宅家賃を値上げするという方針に対して、全国連が反対の運動を起こしたのです。 たしか4倍と5倍とか、かなりの大幅な値上げだったと思います。 これだけを知れば、いくら何でもその値上げはひどいと思うでしょう。    ところが全国連のパンフには、当時の家賃の金額が全く書かれていませんでした。 実は、同和住宅の家賃は築年数の古いものであれば2〜3千円、新築なら1万〜1万5千円ぐらいでした(1980年代に聞いた話。各自治体によって違いがあるようです)。 周囲の民間アパートが5〜10数万円ぐらいでしたから、ビックリするほどの格安です。 これを知れば、行政が何倍かに値上げしようとすることは決して不当ではないでしょう。 つまり全国連は実際の家賃の現状を隠して、値上げ幅だけを書いて反対を訴えていたのでした。 運動団体というのは、臆面もなくこういう主張をするものだということですね。

 別の話。 知り合いの在日がこの同和住宅に入居していました。 夫の実家が同和地区にあって、そのために同和住宅に入れたそうです。 曰く、家賃が安くて助かっている、しかしこの住宅には玄関などに「○○さん、借金を返せ!」等々のビラがベタベタ貼られている家が何軒もある、貸金業者(当時はサラ金とか闇金とか言っていた)がしょっちゅう来ているようだった、誰もいないのかと思ったら朝早くその家の前を通ると明らかに人が住んでいる、家賃があれほど安いのにそれを払わず借金をしても返さない家が結構あるそうだ、一体どうなっているのか分からない所だ。 こんな話をしてくれました。

 もう一つ別の話。 私の体験談。 ある人から荷物運びを手伝ってくれと頼まれたことがあります。 行ってみると同和住宅でした。 その住宅は住居ではなく単に倉庫として利用しているのでした。 実際の住居は同和地区外の一戸建てでしたが、同和住宅は行政がくれるというから持っている、だから倉庫として使っている、とのことでした。 その方の親は解放同盟だそうなのですが、本人はそんなことに全く関心がありませんでした。 だから同和について、普通しゃべってはいけないことでも大らかにしゃべる人でしたね。

 そう言えば、ある同和住宅では倉庫にするのももったいないと思ったのか、ゲーム機を持ち込んでゲームセンターにした人がいたと聞いたことがあります。 さすがに行政はこれに気付いて、止めさせたということでした。

 また同和住宅に入居する条件は部落民であることですが、部落民か否かを誰が判定するかといえば、部落解放同盟等の同和団体でした。 ですから入居しようと思う人は同和団体に証明書を書いてもらわねばならないのですが、その際にある程度のお金を出す必要がありました。 賄賂ですね。 解放同盟の強い某同和地区では支部長に数十万円を包んだという噂がありましたねえ。 え!あの人が同和住宅に入れるの?と疑問が出てくるのは、こんなからくりがあったからです。

 以上、同和住宅について昔の思い出を書いてみました。 同和対策事業が終了した今、同和住宅の家賃や入居基準はどうなっているのでしょうか? 聞くことがなくなったので分かりません。

【拙稿参照】


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