この在日韓国人の話を検討してみる
2021-12-21


 「ワクチン打てず就職もできない“無戸籍者”24時間相談受付のNPO」と題する『女性自身』12月19日付けの記事に、ある在日韓国人の話が出ています。  [URL]

 その部分を抜き書きします。 記者が支援者(市川さん)と本人(ゲンさん)から聞いた話は括弧書きして、〇数字をつけました。 他は記者の地の文です。

@「私は、隣にいるゲンさんの代理人で市川といいます。今日、ここに来たのは、今まさに彼の命に関わる状況があるからです。ただ私たちは法律には素人で、正直、わからないことも多いです。だからどうか追い返さないで、まず、どんな手続きが必要かというところから一つひとつ教えてください」

12月初旬、大阪市にある韓国領事館。窓口のパーティションぎりぎりに詰め寄り、担当者の目をまっすぐに見ながら熱い口調で話すのは、市川真由美さん(54)。奈良市のNPO「無戸籍の人を支援する会」代表だ。

担当者は、市川さんの迫力に気おされたわけではないだろうが、その後、丁寧に仮パスポートの申請について説明してくれた。

傍らで不安そうにしていたゲンさん(60代・仮名)の来し方について、市川さんが話してくれた。

A「ゲンさんは、12歳のとき、韓国から船底に入れられて日本に連れてこられ、強制労働させられました。その後はまじめに働きながら成人し、やがて日本人女性と暮らすようになり、2人で居酒屋を始めて繁盛させます。ですから、ご自分が韓国籍というのはわかってますが、ここ日本では半世紀以上も無戸籍状態、いわば“存在しない人”でした」

ゲンさん自身にも聞いた。彼が市川さんに連絡を取ったきっかけは、このコロナ禍だったという。

B「15年前に妻を亡くして細々と暮らしていましたが、コロナ禍になっても、私には予防接種の通知は届きません。高齢で糖尿病の持病もあるので、まさに死活問題でした。そこでテレビで見た市川さんに連絡したら、すぐに地元の役所と交渉してくれて、コロナワクチンも10月までに2回打てました。その後も今日みたいに戸籍や在留資格のことで世話になってますが、市川さんの動きが早くて、私はよう、ついていけんで(笑)」

領事館での最初の交渉を無事に終え安堵したのか、ようやく笑顔を見せてくれた。

大阪から帰りの電車を乗り継ぎながら、市川さんが話す。

C「ゲンさんは、ずっと日本で暮らしていたという証拠となる写真などがあって、助かった部分もあります。‥‥」

 まず、ゲンさんは今「60代」とありますから1952〜1961年生まれで、そして12歳の時に「船底に入れられて日本に連れてこられ」とありますから密航で日本に来たことが分かります。 とするとその時期は1964〜1973年となります。

 韓国は教育に力を入れていましたから、朝鮮戦争が終わって10年以上も経った1964〜1973年では、子供(特に男子)が学校に行かなかったというのは、まず考えられません。 従ってゲンさんは小学6年か中学1年くらいの時に、日本に密入国したものと思われます。 

 とすれば、ゲンさんはそれまで通っていた学校、住んでいた町、そして両親・兄弟・級友等々も記憶しているはずです。 そしてそれが分かれば、それを手掛かりに韓国の戸籍を確認することができます。 しかしゲンさんと支援者が領事館で提示したのは「ずっと日本で暮らしていたという証拠となる写真など」という、韓国戸籍とは関係のないものでした。 ここにこの記事への疑問が出てきます。


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