姜信子『棄郷ノート』を読む
2018-10-19


日本で生まれ育った在日韓国人と朝鮮半島の韓国人は同じ民族意識で結ばれている、あるいは当然に結ばれうると考えるとすれば、それはあまりに楽天的な幻想にすぎない。 黙ってただ歩いているだけでも、日本臭さが体中からぷんぷんと出ている私が、明らかに日本語のイントネーションに影響されている韓国語で、自分は韓国籍をもっている、父母も祖父母もみんな韓国籍で、自分の体には韓国人の血が流れていると主張したところで無駄なこと。

韓国民/韓民族としては規格外の存在であり、異邦人にすぎないということを、韓国の隣人たちは容赦なく思い知らせてくれる。‥‥ 韓国人の血を持つくせに日本臭い。 怪しげな韓国語しか話さない。 それは、民族意識に燃える韓国の隣人たちにとって、<裏切り>にも等しいことだった。(以上 255〜256頁)

 在日が「民族」に目覚めて本名を名乗り韓国語をいくら勉強したところで、本国の韓国人からは「日本臭い」として突き放され、冷たく見られているというのが実態でした。 日本人ならば「日本臭い」のは当たり前ですから日本人として振る舞った方が理解を得られやすいのですが、在日が自分は民族に目覚めて本名を名乗っていますと下手な韓国語で自慢するように言うと、「日本臭さ」が鼻に付いて反発を買うようです。

 考えてみれば、韓国人ならば韓国名を名乗り韓国語をすらすらと話すのが当たり前です。 逆に韓国語の出来ない韓国人は恥じ入るしかないものです。 しかし当時の在日は、本名を名乗ってハングルをちょっと読めるというだけで民族に覚醒したという意識を持ち、また日本人(といっても一部)から尊敬を受けていたのでした。 その居心地の良さは日本人を相手にする時だけに通用し、本国の韓国人には通用しなかったのです。

 本名を名乗り民族を熱っぽく語っていた在日が、本国の人と会う段になって借りてきた猫のように委縮してほとんど喋らなくなったものでした。 そして彼らが考え出した論理が「在日は日本人でもなく韓国人でもない。だから韓国語が出来なくてもいい」で、本当に韓国語を勉強しなくなりました。 それでも民族差別する日本社会を非難し、過去を反省しない日本人を糾弾する熱意は変わらなかったですねえ。

姜さんを読んで、1980・90年代を思い出した次第です。 

【拙稿参照】

姜信子『私の越境レッスン・韓国編』[URL]

在日の範囲とルーツを隠すこと      [URL]

在日の慣習と族譜            [URL]

これまでの在日とその将来について(仮説)[URL]

韓国人でもなく日本人でもない      [URL]

民族を明らかにするのに勇気がいる、という発言  [URL]

在日韓国人政治犯            [URL]

外国籍の先生              [URL]

在日は日韓の架け橋か          [URL]

外国人参政権要求−最終目標は国政参政権 [URL]

在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳  [URL]

在日の政治献金             [URL]

在日の政治献金(2)          [URL]

在日コリアンと本国人との対立      [URL]

在日コリアンの「課題」         [URL]


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