二十年以上も前に買って、そのまま積ン読していた成美子『在日二世の母から在日三世の娘へ』(晩聲社 1995年9月)を読む。 自らの目で見た1970〜80年代の在日韓国人社会や、自分の日常生活についてのルポ・エッセイ集です。 750ページの大冊で、いつか読もうと思ってそのまま読まずに過ごし、本棚の奥の見えない所にずっと置かれていました。 この度ちょっと本棚を整理してこの本を発見し、ようやく読んだという次第。
著者の身近な話が多く、知人・友人ならば面白く読めるでしょうが、私には昔の在日社会はそうだったなあ、或いはそういう在日もいたんだなあと思う程度で、ざっと読み流しただけでした。 しかしその中で、在日と華僑を比較した「得体の知れない自由」と題するエッセイ(129〜133頁)は、あ、そうか、そう言えばそうだなあと新鮮に感じられるものがありました。 それを紹介します。
4歳になる長女が中華街にある保育園を卒園した。そこは中華街の華僑のひとびとが自分たちの子弟のためにつくった私設の保育園で、30名ほどの園児の約8割を華僑の子供たちが占めているという特徴のある保育園であった。娘はそこで、圧倒的多数の中国人と少数の日本人にまじって、唯一の韓国人として、ほぼ2年近くお世話になった。
中華街ですから飲食店がほとんどで、昼食時と夕方からが本格的な仕事となる家庭ですから、真夜中の11時過ぎからが一家揃っての食事になります。 従ってその子供たちは普通の保育園では間に合わない生活スタイルとなります。 だから私設の保育園が必要なんですねえ。
その2年を通じて、多くの華僑の母親たちと親しくなった。私とほとんど同年齢の彼女たちは、日本に渡ってきた親をもつ二世の華僑であり、中華街に立ち並ぶ店々を実質的にきりもりする嫁や娘たちである。日本語を常用するという点では私たち二世と変わるところがなかったが、生活態度や人生観に、私たち二世とはまったく異質なものを見出し、驚かされることが多かった。
そして在日韓国人から見た、華僑との比較が始まります。
まず第一に驚かされたのは、彼女たちの生活態度が非常に質素であるという点であった。大部分の母親たちは、洗いざらしのズボンにただ束ねただけの髪、労働着というスタイルで、子供を園に預けては店にすっとんで行き、帰宅時間になるとエプロン姿で迎えに来た。 その服装は、家長会と称する父母会の会合でも、学芸会でも、卒園記念写真撮影の日でも変わるところがなかった。 私は、男物のごっつい自転車で二人の子供を送り迎えして、親子ともども着古した服を身につけた彼女たちの一人から、「ここがうちなの」と五階建ての赤や緑で装飾された建物を指さされたとき、えもいわれぬショックを受けたものである。
これは私の体験とも一致します。 華僑の人々は日常生活が実に質素で、使えるものはどんな古びていても最後まで徹底して使うという生活スタイルです。 こんなお古じゃ恥ずかしいというような感覚は皆無といっていいです。 といって全てにケチかといえばそうではなく、どうしても必要なものとか冠婚葬祭なんかにはお金を惜しみません。
保育園に預ける年齢の子供をもつ母親の手というものは、総じて荒れているものであるが、学芸会の歌の練習や会合に集まった彼女たちの手は、その度を越えた、子供の頃から身を粉にして働くことを当然としてきた鍛えられたごっつい手であった。 そして彼女たちは、その手で黙々と家業に励んで、浮いたところが少しもなかった。 「代替え」と彼女らが称する世代交代もスムーズに進み、一世の親たちは一歩退いて、若い息子や嫁たちに店の実質的権限を譲り渡していた。
華僑二世は親が創業した店を幼い時から手伝い、その店を誇りに思い、継承するという文化があります。 これを在日の著者が感心して書いているということは、在日にはそのような文化が希薄だということです。
著者は自分の大学時代の同胞たちと比較します。
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