ちょっと疑問な毎日新聞記事
2018-09-29


 2018年9月27日付けの毎日新聞に「平和という時代 第2部 この場所」と題する記事があります。 [URL]

 この記事の主人公である洪貞淑(56)さんについて、次のような生い立ちを記しています。

在日が一般企業に就職することは難しく、洪さんも短大卒業後2年ほどして父が営む韓国食品の販売会社で働き始めた。会社の規模は小さく、事務所は6畳。「主な顧客は同胞の乾物屋。仕事を見つけるのに必死だった」という。

 彼女は56歳です。短大卒業時は36年前のことになりますから1982年頃です。 果たしてこの時代に「在日が一般企業に就職することは難しい」という状況があったのかどうか、ちょっと疑問に感じました。

 在日の就職について簡単に説明しますと、1970年代前半までは日本の会社が朝鮮人の就職を忌避したのと同時に、在日朝鮮人社会では日本の会社に就職することは「同化」だと否定していたのです。 つまり日本側の朝鮮人忌避と在日側の就職拒否が共存していたのが、この時代でした。

 しかし1970年に朴鐘碩という在日青年が日立製作所から採用を取り消しされるという事件をきっかけに起きた「日立闘争」が、4年後の1974年に横浜地裁が就職差別と認定したことにより勝利しました。

 これが契機になったのでしょうか、在日の就職状況はその後、格段によくなりました。 そして在日の就職闘争の対象は民間企業から公務員へと向かい、ここでもかなりの勝利を収めたのでした。 朝鮮人であることを理由にした就職忌避は、余程のことがない限りあり得なくなったのです。

 1982年はそんな時期に差し掛かった時代でしたから、毎日新聞の記事のような「在日が一般企業に就職することは難しく」という部分には大きな違和感を抱いたのです。

 なお1970年代前半までは在日の方が日本の会社への就職を拒否していたということについて、今では信じられないでしょうが、事実でした。 これについては日立闘争に関わった佐藤勝巳さんが当時の状況について、『在日韓国・朝鮮人に問う』(亜紀書房 1991年)で次のように書いています。

日本企業への就職の門戸開放に、さらには社会保障の適用に、最も反対したのが、一九七〇年代前半における民族団体内部の一世たちだったのである。当事者が同化だと反対しているのに、日本政府が進んで制度的差別の撤廃をするはずはない。(27頁)

日本企業が就職差別をしているという記述に接する度に思うのだが‥彼らを日本企業に就職させるのは同化だといって猛烈に反対したのが一世、なかんずく総聯だった。この主張からすれば、就職差別があった方が同化しなくてよいということになる。この認識は、一九七五年頃までの彼らの社会の多数意見だったことは周知のことである。(47〜48頁)

 1970年代後半以降、民間企業では在日の就職忌避をしなくなりましたが、就職に関して条件を付けられたという話が時々聞こえてきました。 ある大手企業に就職した在日は、海外赴任する場合があるからその時までに帰化してほしいと言われたそうです。 たしかに海外で何か事があれば韓国籍では対応が難しくなるでしょうし、あるいは朝鮮籍であれば韓国のパスポートすらありませんから更に対応が難しくなります。

 以上のような在日の就職状況は昔の話です。 これを思い出すにつけ、今の在日はどれほど幸せなことかと思います。

【拙稿参照】  15年前の論考ですが、ご参考ください。

第61題 在日朝鮮人の就職状況 [URL]


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