この資料は、『朝日新聞 外地版 60 南鮮版』の昭和19年(1944)1月5日付けにあるもので、第二次世界大戦における朝鮮人戦死者を表彰する記事です。 クリックすると拡大します。
支那事変の戦死者の場合は創氏改名以前の可能性がありますが、大東亜戦争の方は1941年以降ですから創氏改名の施行以降のことです。 大東亜戦争の朝鮮人戦死者22人のうち6人が、日本名ではなく民族名です。 分かりやすいように赤線を引きました。 なおこれは昭和19年1月に表彰された記事ですので、朝鮮人戦死者の全てではありません。 お間違いのなきよう、お願いします。
当時の漢字と表現の記事ですので、ちょっと読みにくいと思われます。 標題と前文だけを書き直しました。
余栄一入 輝く 朝鮮関係出身勇士
支那事変ならびに大東亜戦争死没者に対し、今般畏くもそれぞれ第53回、第13回の優渥なる行賞を賜う恩命を拝したが、赫々たる武励に余栄一入輝く朝鮮関係出身の勇士ら、つぎの通り
「余栄」「一入」「優渥」は、今では使わない言葉ですね。
ところで宮田節子は、創氏改名は朝鮮に徴兵制の準備の一環として日本軍から朝鮮名を排除しようとするものであったと論じています。 しかし実際に日本軍に入隊した朝鮮人には、創氏改名以降にも拘わらず朝鮮名を維持した者が多かったことが、この資料からも判明します。 しかも朝鮮名で戦死した朝鮮人をそのまま表彰しているのですから、日本軍と朝鮮名は何ら矛盾しない存在でした。
宮田が「天皇の軍隊の中に、「金某、李某」が混入するのがたえがたいという思いが、にじみ出ている」(『創氏改名』明石書店 1992年1月 40頁)と論じたのは、誤りと言わざるを得ないでしょう。
【拙論参照】
宮田節子の創氏改名論 [URL]
民族名で応召した朝鮮人 [URL]
民族名での人探し三行広告 [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2) [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4) [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5) [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) [URL]
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9) [URL]
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