伊地知紀子『消されたマッコリ』(1)
2015-12-08


 伊地知紀子『消されたマッコリ―朝鮮・家醸酒を今に受け継ぐ』(社会評論社 2015年5月)を購読。 マッコリについては、4年ほど前に私自身の思い出話を書いたことがあります。

タッペギ(マッコリ)の思い出    [URL]

マッコリは、元々は朝鮮の各家庭で醸造していた伝統酒で、日本でも在日朝鮮人家庭で醸造され、時には販売されました。 在日社会ではマッコリではなく、「タッペギ」と呼ばれていました。 しかし密造ですから、よほど親しくならないと出しくれないものでした。 私にはそういう思い出がありますから、こういう類の本には関心があります。 だから本屋でこの本を見つけると、すぐさま購入したのでした。

この酒はどんな材料を使ってどのようにして造っていたのか、この本では次のように記されています。

外祖母(母方の祖母)から母へと伝わったマッコルリの製造法を、尼崎市在住の李惇玉さん(1955年生)が語ってくださった。 ‥‥李惇玉さんの母(1930年生)は、自分の母の造り方を見習い、父と結婚後も20年ほど篠山に住んでいた間マッコルリを造り続けた。 外祖母はマッコルリではなく「タッペギ(濁白)」といっていた。   外祖父は器用にオンドルの家を自ら建てたので、これがマッコルリ造りに必要なヌルッ(麦麹のこと)を乾燥させるのに役立った。 大麦の収穫後、外祖父が一俵購入して担いで戻ってくると、その大麦を荒くつぶして蒸し、練ってオンドルの上で乾燥させながらカビを付ける。ツルニンジンを入れるときもあった。   マッコルリは、結婚式や葬式のときに客人に振る舞うには欠かせず、1回の宴会に必要な材料は米2升、米麹2升、円盤型のヌルッを半分、水を入れて全体で約60リットル容器にいっぱいとなる程度だ。   李惇玉さんの母はイースト菌を小さじ1杯くらい足していた。 発酵を促すために砂糖を入れるという手もあるが、それよりも夏場は材料をすべて冷まして水を入れ紙でフタをして発酵を待つときに、「呼び酒」として焼酎か純米酒を入れるとうまくいく。   冬場は、蒸した熱い米、米麹、ヌルッを混ぜたとことへ水を入れていくなかで温度を下げていくが、適温の目処は上腕の内側で計る。 この部分が気持ちよく感じる温度が36°Cくらいなので、そこで差し水を止める。(146〜147頁)

大阪市西成区在住の尹美生さん(1954年生)が思い出す光景は、和歌山県有田川上流で飯場をしていた父の雇う人夫70名が飲むタッペギのために、母が長い板に乗せた蒸し飯に種麹を混ぜるところだ。   人夫の食事の材料すら事欠く現場でのタッペギづくり。生の小麦が入手しにくいことも影響したであろう。 代替としての米麹は日本の酒造りでは欠かせないものであり、麹屋が商売として成り立ってきたので購入も可能だ。  しかし、できるだけ経費を節約すべく、種麹を仕入れて米麹をつくる場合もあった。(148頁)


続きを読む


コメント(全2件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット