日本のカニバリズム
2013-12-18


 カニバリズムには人肉を栄養源とするか、薬用とするか、何か霊的な力を得ようとするか、猟奇的な動機等々の種類があります。

 日本史上では飢饉が酷くて人肉を食べたというような記録が出てきますが、これは栄養源としてカニバリズムです。しかしこれは大飢饉という特殊な事例になります。 そうではなく日常的と言える例が日本の近世の資料に出てきます。それは薬用としてのカニバリズムです。

 江戸時代のカニバリズムを実証する資料は、明治3年3月付けで刑部省が弁官あてに提出した公文書にあります。歴史家の氏家幹人さんが現代文に訳したものを見つけたので紹介します。

前々から(旧幕時代から)斬罪やさらし首になった罪人の死骸を割いて胆や露天蓋(頭蓋骨)、陰茎等を採取し、売買することが行われています。なんと残酷なことでしょう。今後は厳しく取り締まるべきであると考えますが、さて、そうはいっても人の胆や頭蓋骨に他に得がたい薬効があるというならば、一概に取り締まるのも如何と思われます。つきましては大学の医学の専門家に、はたして効能があるかどうか調査させていただきたい。(『大江戸死体考』平凡社新書 1999年9月 145〜146頁)

氏家さんは次のように解説します。

ここでいう大学は文部省の前身。弁官から人の胆や頭蓋骨に薬物としての特別の効能があるかと下問された大学側は、同月14日の公文書で、そんなものが効くと信じているのは無知蒙昧のなせる業で、病気治療には寸分の効果もありません、と回答しています。  それにしても大学側が「世人固く信じ」といい「かくのごとき売薬類世間に多々これ有り」といっているのは、注目に値するでしょう。当時これらの薬効が広く信じられ、ために人胆その他を材料にした薬が何種類も出回っていた‥‥わが日本にも人の身体の一部を薬として用いる“伝統”があった――この厳然たる事実(同上 146頁)

 何十年か前の部落史の概説書で、江戸時代の穢多は刑場での処刑の手伝いと処刑された遺体の片付けの仕事をさせられたという記述のなかに「刑死者の持ち分は穢多の取り分となった」という意味のことが書かれていました。当時は知識がなかったので、「刑死者の持ち分」とは着ていた着物か家族からの差し入れ品かと思っていたのですが、本当は刑死者自身の肉体だったのです。処刑された者の遺体は遺族に引き渡されるのではなく、穢多身分の者が自由に処分できたのが江戸時代です。

 部落史研究は1970〜80年代に盛んになりましたが、この方面の研究はほとんどなかったように記憶しています。だから部落史の概説でも、全く分からないように極めて曖昧模糊に書かれていたわけです。もしこんな研究をしていたら、糾弾されていたでしょうねえ。

 江戸時代の日記のような歴史資料に、病気の父母のために胆を買い求めた、というような記述があったら、それは熊の胆のような獣肉ではなく、人間の胆の可能性があるということです。また精力増強のために人間の陰茎を食べたというのは、記録にも残らないでしょう。日本のカニバリズムは、薬用というレベルでかなり日常的に存在していたと見るべきでしょう。

 しかし日本ではカニバリズムはあるはずがない、或いはあって欲しくないという気持ちが強いようです。昔の日本にもカニバリズムがあったと言ってあげても、えっ!まさか!!極めて特殊例外!!というような反応がほとんどです。

 日本のカニバリズムをなかったことにして、他民族のカニバリズムを取り上げて優越感を持つのはレイシズムと言わざるを得ません。

【拙稿参照】

中国のカニバリズムを取り上げるのはレイシズム [URL]


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