朝鮮人の子供たちは同化されたのか(2)
2026-01-09


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これまでの在日の同化・将来の外国人の同化

 日本の教育当局は1930年頃から在日朝鮮人子弟の教育に力を入れ始め、いわゆる同化=皇民化教育を施しました。 しかし子供たちの多くは通わされていた日本の学校に違和感を有していたようです。 朝鮮の子供たちの日常会話は多くが日本語になっており、普段の立ち居振る舞いはどんどん日本化していくなどある程度の同化が進んでいたのですが、多くが日本の学校に違和感を持ちました。 しかし熱心な皇国少年になった子も少なくなかったようです。 そして1945年に日本の敗戦=朝鮮の解放を迎えました。 子供たちは戦後すぐに各地に開設された朝鮮人学校に入学して、それからわずか3年後の1949年にその学校が閉鎖されてまた日本の学校に戻されるという、時の流れに翻弄されながら学校に通ったのでした。

 その後、1950年代に総連系の朝鮮学校(他に民団系の韓国学校があるが僅か)が開設され、子供たちは朝鮮学校に行くか日本の学校に行くかで、分かれることになりました。 このうち日本の学校に通う朝鮮人の子供については、優秀な成績を修めて有名大学や医学部に進学するような子もいましたが、日本の教育に不適応を見せる子が少なくありませんでした。 1970年とかなり後になりますが、大阪の校長会の内部文書で在日生徒を次のように評価していたことが明らかになりました。

大阪市立中学校長会「昭和45年度研究部のあゆみ」 

朝鮮人子弟は、一般的に利己的・打算的・刹那的・衝動的な言動が多く、それが情緒不安定、わがまま勝手、ふしだらな傾向、実行の伴わないみせかけの言動となってあらわれる。 罪悪感に欠け、性的早熟、自己防衛的でその場限りのウソも平然とし、同じあやまちや不注意も繰り返す。 半面、外国人ということを卑下して、日本人のように振る舞おうとし、無気力になったり、荒々しくなったりする。 (永井萌二『見知らぬ人 見知らぬ町』1971年7月 五味洋治『高容姫』文春新書 2025年6月 65・65頁より再引)

 日本の学校に通う在日韓国・朝鮮人の子供たちの多くは戦後(朝鮮解放)25年経った1970年になってもなかなか同化せず、荒れた学校生活だったようです。 彼らが同化して落ち着いてくるのはそれ以降で、民族コミュニティ(いわゆる朝鮮部落)の縮小・解体とともにしていたのではないかと私は思っているのですが、どうでしょうか。(下記の拙稿参照)

 一方、同化に抵抗して民族を強調してきた朝鮮学校では、校内では日本語が禁止されて朝鮮語のみが使用されましたが、そこで交わされる朝鮮語は「在日朝鮮語」という日本語に大きく影響された言語であり、また子供たちは一旦校外に出れば日本語をしゃべって日本人と変わらない生活を送っており、あるいは日本の学校生徒との凄まじい対立・抗争はかなり以前から聞かなくなりました。 いま朝鮮学校に通う在日の子供たちは一部の「赤い人」でさえ祖国に帰らずに日本で生活する選択をしています。

 ですから2026年の今では、ほとんどの在日は同化の最終段階に向かいつつあると言っていいでしょう。 戦前に日本の教育当局が目論んだ在日の同化は、100年近く経ってようやく成就したということになります。

 なお以上は在日全体の大ざっぱな流れを論じたものであり、個々人を取り出せば同化の度合いが違うのは当然のことです。 名前も国籍も何もかも全てが日本人化した在日もおれば、同化しているといっても名前や国籍、生活の一部に民族の痕跡を残す在日もおり、あるいはまた日本人から受けてき差別の歴史を根拠に��同化されてたまるか”と頑張る在日もいます。


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