木村幹『全斗煥』(2)―歴史問題は中曽根訪韓から
2025-01-11


[URL] の続きです。

 日本と韓国は歴史問題でこれまでずっと摩擦を続けてきたし、これからもなかなか収まりそうもありません。 ところで日本側の認識では1965年の日韓条約で歴史問題は「最終的かつ完全に解決」としてきたのですが、韓国側ではくすぶり続けてきました。 歴史問題が日韓の外交問題に浮かび上がったのは、全斗煥大統領の時からです。 

 全斗煥大統領は1984年に日本を国賓訪問した時、天皇から植民地支配を謝罪する言葉が欲しいと要求し、すったもんだの末、宮中晩さん会の際の天皇陛下が挨拶に「両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾」と述べたことで一旦は決着しました。 

 しかしその次の盧泰愚大統領が国賓訪問した際、韓国側は前の全大統領の時よりもさらに一歩踏み込んだ謝罪“の言葉が欲しいと要求し、これもすったもんだの末、天皇陛下は「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い,私は痛惜の念を禁じえません」という言葉を述べました。 これで歴史問題は決着してもう問題化しないと思いきや、その後の慰安婦問題等々で、日韓関係は泥沼状態からなかなか抜け出せずに今に至っていることは周知だと思います。

 以上の経過から、日韓の歴史問題の原点というか出発点は1984年9月の全斗煥大統領国賓訪問の時であると、私は思ってきました。 しかし木村幹『全斗煥』(ミネルヴァ書房 2024年9月)によれば、出発点はそれより以前にあるということを知りました。

日本の現職首相の韓国訪問は‥‥1983年1月の中曽根康弘による訪問が初めてであった。 ‥‥ここで今日の日韓関係にまで繋がる大きな出来事がひとつあった。 それは韓国側が首脳会談において、中曽根からの「過去の反省」の言葉を求めたことである。 結果、中曽根は晩さん会の場で次のように述べている。 

他方、日韓両国の間には、遺憾ながら過去において不幸な歴史があったことは事実であり、我々はこれを厳粛に受け止めなければなりません。 過去の反省の上にたって、わが国の先達はその英知と努力によって一つ一つ新しい日韓関係のいしずえを築いてこられました。 

会談終了後、全斗煥は韓国国会にてこの首脳会談を次のように評価している。

日本首相のわが国への初の公式訪問を通じて両国政府は、昨日を反省し、明日を設計するについて志を同じくした。‥‥

今日において重要なのは、ここにおいて韓国側がこの首脳会談を本来の目的であった「経済協力」問題や朝鮮半島の平和と安定について議論することに加えて、「過去の不幸な歴史」を巡る問題を解決するものとして明確に位置づけ、また日本側の「反省」を求めたことである。 李承晩や朴正熙が訪日した際に行われた首脳会談では、韓国側は同様の「反省」を求めてはいないから、ここに大きな変化が存在することが分かる。 (以上 『全斗煥』 255〜256頁)

 1983年1月に訪韓した日本の中曽根首相は、韓国側が「過去の反省」を求めてきたのに応じて、「過去において不幸な歴史があったことは事実であり‥‥過去の反省の上にたって‥‥」と挨拶したのでした。 このような日韓間のやり取りが起きた背景には、前年8月にいわゆる教科書問題(「侵略」を「進出」に書き換えた)で日本が中国や韓国から批判を浴びた事件がありました。 これがあったからこそ、日韓首脳会談で歴史問題について韓国側が要求しそれに日本側が応じたという経過になったのです。 歴史問題が日韓首脳外交に取り上げられたのは、この時が初めてでした。

 そして韓国側は中曽根首相の「反省」の挨拶を外交的勝利ととらえたようで、翌年の1984年大統領国賓訪問時にも要求して天皇陛下の「遺憾」発言を引き出したと考えられます。 『全斗煥』では次のように記しています。


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