『故郷忘じがたく候』の元となった逸話(2)
2024-01-09


かく無年貢の地を与えてこの風俗を立ち置かるること、薩摩の広きを知るべし。 薩摩の朝鮮通詞はこの村の人、務む。 当村にては平生はおおかた和語に慣れたりと言えども、またよく朝鮮の言葉を用ゆるものありて、通事役を務むるなり。 すべて薩摩は異国の船、毎度漂着するゆえ、諸異国の通詞役人あり。 この村の朝鮮通詞を務むるは、もっとものことなり。

 「まんきん」は漢字で「網巾」と書き、今の韓国語では「〓〓(マンゴン)」と言います。 男性が使うヘアバンドで、韓国ドラマの時代劇によく出てきますから、ご存知の方も多いでしょう。 「まんきん」は中世朝鮮語かも知れません。

 苗代川村は年貢が免除されていて、代わりに朝鮮風俗を維持するように命じられていたということです。 また朝鮮語の通訳の仕事もしていました。 要するに薩摩藩から保護を受ける代わりに、朝鮮語と朝鮮風俗維持という規制を受けていたのでした。 同化政策とは全く反対の異化政策″です。 

 苗代川の朝鮮人陶工について、『東西遊記』の記述は以上でした。 ところで「苗代川村」は今は日置市東市来町美山となっていて、この地名のWikipediaに朝鮮人陶工の歴史が詳しく説明されています。 おそらくそれなりの専門家が書いたものと思われます。

 ところがこのWikipediaには脚注、出典、参考文献にこの『東西遊記』がありません。 ということは、この旅行記は歴史資料としてさほどの価値がないと判断されたようです。 私は書かれている内容にウソがあるとは思えなかったので、来日以来200年経った18世紀末の朝鮮人陶工子孫たちの様子を見るのに貴重な歴史資料と思っていました。 しかしどうやら歴史学界では評価が低いようです。 内容に間違いが多いということなのでしょうかねえ。 (終わり)

【拙稿参照】―女性の名前「ロレン」に関連して

李朝時代に女性は名前がなかったのか [URL]

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)[URL]

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)[URL]

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)[URL]

かつて朝鮮人女性には名前がなかった [URL]

李朝時代の婢には名前がある    [URL]

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは? [URL]

名前を忌避する韓国の女性     [URL]

名前を呼び合わない韓国人女性たち [URL]


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