1980年代在日韓国人活動家の考え方―゙功鉉(3)
2023-03-29


[URL] の続きです。

で、大学に進んだあなたのような人は、全国100大学にある韓国文化研究会に入って、より一層民族意識を高める。 それが在日三世ですね。

゙― ええ。本当の韓国文化とは何か、祖国との接点は何か、を仲間と語り合い、文献を読むなかで、言葉など自国の民族文化のありようを知ったんです。 それから外国人登録法反対闘争を組みました。

外登法問題は両国の政権下で裏取引される気配がある。

゙― ええ、一回だけ登録原票に指紋を押すだけでいい、といった形で‥‥。 いまは、人権問題としての裁判闘争が主流ですが、なぜ「在日」が発生し、韓日条約もなぜスケープゴート(犠牲の山羊)扱いされているのか、われわれをそのように取り扱ってきた日本文化がはらむ負の要素を注視してゆきたい。

 民族文化とか民族意識とかいうものは、本来それぞれの家庭で自然と造成されるものだと思うのですがねえ。 家族とどんな言葉で会話しているのか、普段の料理は何か、チェサ(祭祀―法事のこと)はどのように行なっているのか、冠婚葬祭の際に集まる一族たちとどのような話を交わすのか、本国の親戚とはどのように交際しているのか等々の日常生活のなかで、基本となる民族文化や民族意識を先ずは身につけるべきものではないでしょうか。

 そういった自分たちの韓国・朝鮮の民族文化意識の基本・初歩を論じずに、自分たちには外国である「日本文化がはらむ負の要素」を論じるところに大きな違和感があります。

 もう一つ、「外登法問題」や「人権問題の裁判闘争」といった言葉から分かるように、日本の体制に対する闘いが民族文化等の重要な要素なっている点です。 つまり゙さんは、日本の政治・社会体制と在日の民族文化等とが対立するという考え方を打ち出し、在日が民族を取り戻し獲得することは日本の体制に反対することだと訴えているのです。 これは1970〜1990年代における在日の活動家たちの特徴的な考え方でしたねえ。 

 在日活動家は日本左翼・革新の反体制思想と共鳴していました。 本名を名乗ってちょっと韓国語ができたくらいで民族文化を獲得したと考え、日本の体制に対峙することによって民族意識を確認すると思い込むようになります。 一言で言えば、在日のアイデンティティは反日・反体制思想にあるということになります。 ゙さんのインタビュー記事を読みながら、そんな昔の時代を思い出します。

 日本の左翼・革新の人たちは、在日は自分たちの思想に賛成してくれるものと期待し、そして在日活動家もその期待に応じようと日本左翼・革新思想を受け入れることとなります。 現在ではこの考え方は在日や日本人の若者にほとんど継承されず、中高年齢層(主に1960年代末〜1980年代に青年期だった人たち)の一部にまだ強く残っているものと考えます。

 今度三回にわたって40年も前の在日活動家の発言を取り上げたのは、“当時は将来を見通せずにこんなことを真剣に議論していたんだなあ” “何と無駄なことをしていたのだろうか”という反省を込めた私のノスタルジーですね。 (終り)

【拙稿参照】

1980年代在日韓国人活動家の考え方―゙功鉉(1) [URL]

1980年代在日韓国人活動家の考え方―゙功鉉(2) [URL]

李青若『在日韓国人三世の胸のうち』(1)―強制連行 [URL]

李青若(2)―「あなたは同化しているね」 [URL]

李青若(3)―1990年代の在日問題 ― [URL]

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 [URL]

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  [URL]

韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(2)  


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