「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)
2022-05-17


 ちょっと古いですが、韓国の主要紙『朝鮮日報』2022年3月5日付けに、「ソン・ウィダルが出会った人」というコラムで「『新両班社会』の著者で人類学者であるキム・ウンヒ博士」と題する記事がありました。 16世紀末〜20世紀初の李朝時代後期の「両班」社会理念が、現代韓国の進歩派の間で復活していると論じるものです。   [URL]    興味深かったので、翻訳してみました。 まずは記事内容のあらましです。

―「親日清算」を叫ぶ南政府と「抗日パルチザン」を称賛する北政権は驚くほどに瓜二つ

―政治・経済・社会・歴史観などで、韓国のエリートたちの考え方が李朝後期へと退行している。 「成長」より「均等・分配」を強調し、「持つ者」を敵対視する抑強扶弱を叫ぶ政治家たちが多くなったのが証拠だ。 これは貧富の格差がなく、全てが等しく暮らす農民社会を志向した李朝時代の儒教経済観の完璧な復活である。

―先月下旬に『新両班社会』という著書を出した人類学者のキム・ウンヒ博士が下した診断である。ソウル大学衣類学科75回生である彼女は、1993年アメリカのシカゴ大学で人類学位を受け、中央大学の兼任教授と韓国学中央研究院の専任研究員等をしている。2016年の夏からSNSで意思疎通を増やしている。

―キム教授はこの本で、586世代の運動圏を始めとする韓国の進歩志向の考え方と世界観を文化人類学的観点からメスを入れた。 「586世代、彼らが言う正義というのは何なのか」という副題を付けた。 記者は今月の初め、キム博士と電話と書面でインタビューした。

 「586世代」というのは、韓国において2010年代以降に年齢が50代で、1980年代に民主化・学生運動に関わった1960年代生まれの人々を指します。 「50代」「1980年代に民主化・学生運動」「1960年代生まれ」の数字から「586世代」という言葉が生まれました。 十数年ほどの年代差がありますが、日本の全共闘世代に相当すると言えます。

 「両班」とは、李朝時代において〓士農工商″身分制度の最高位の「士」(士大夫)に当たるものです。 その詳細はこのインタビューである程度理解できるとは思いますが、やはりご自分でお調べになるのがいいでしょう。 その実態を初心者向けに解説したものとして、尹学準『オンドル夜話』(中公新書)、『歴史まみれの韓国』『韓国両班騒動記』(亜紀書房)をお勧めします。 朝鮮史の専門家のものとしては宮嶋博史『両班―李朝社会の特権階層』(中公新書)があります。

―今大韓民国が「新しい両班社会」に向かっていると見るのか?

そうです。壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)から朝鮮滅亡までの300余年間の李朝後期両班社会の統治理念は「徳治」でした。 義と礼を追求する君子が、自分だけの利益を追いかける小人を教化し支配するのが徳治です。 1990年代の初め、文民政府出発でひそかに蘇った「徳治」の亡霊が、21世紀の韓国進歩陣営を徘徊しています。

―具体的にどんな事例があるのか?

2・3年前に発生した「曹国(チョ・グク)事態」と「尹美香(ユン・ミヒャン)事態」からそうです。両班たちが君子と小人を区分したように、曹国と尹美香の支持者たちは韓国社会の構成員を、社会正義のために生きて来た運動圏である「両班」と自分の利益に忠実な既得権・積弊勢力である「小人」とに分けました。 大義に献身してきた活動家に法律的な物差しを当ててはいけないと、彼らは強弁します。 道徳的優越性が法治よりはるかに価値があり重要だという理由です。

子女が名門大学に入学するための入試不正と市民団体の会計不正は、市民社会の根幹である信頼を壊す深刻な犯罪行為です。 しかしこの二人の支持者たちは、「正義である」ことで生きて来た曹国・尹美香の犯罪行為を認めませんでした。彼らにとって「正義である」社会は道徳的に優越する人たちが統治する両班社会であって、法治を基盤とする近代市民社会ではありません。

―他の事例があるとしたら?


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