日本語版『反日 種族主義』で抜け落ちた章節(6)
2020-03-06


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 17章の後半です。 今回で終わりです。

機会主義で一貫する高宗

高宗は体の調子が悪いと言って謁見を拒否して大臣たちと御前会議を開き、林公使は休憩室で待つ状況になりました。この日の御前会議で高宗は「伊藤大使が言うには、今度の条約文と関連して字句を加えたり直そうとすれば協議の道があるが、拒絶すれば隣国間で良好な関係を維持できないという。条約の字句を変更することが可能なようだ」と発言した。

御前会議が終わり、大臣たちが休憩室に出ると、林公使が会議の結果を尋ねました。韓圭〓は「皇帝陛下は協議して、ちゃんと処理せよとの意で指示しましたが、私たち8人は反対意見を繰り返し申し上げました」と答えた。林公使は「あなたの国は専制君主国であるから、皇帝陛下の指示があったならば、この条約はそのまま締結されねばならない。8人の大臣らが陛下の命に背くのか?こんな大臣らは朝廷に置くわけにいかない。特に参政大臣と外部大臣を変えなければ」と暴言を吐きました。

11月17日午後8時頃、伊藤特使が朝鮮駐屯軍司令官を率いて宮中に入りました。伊藤が高宗に謁見を要請しましたが、高宗は「大臣たちに、協商してよく処理するように命じたので、大使が妥協の方法を解き明かしてやること望む」というメッセージを送ります。高宗のメッセージを受けた伊藤は、韓国の大臣たちと会議を開き、個々人に条約締結についての賛成反対意見を問いました。高宗の了解の下に、伊藤特使が大臣会議を主管するという、とんでもないことが起きたのでした。その結果、条約の締結に反対する大臣は、参政大臣の韓圭〓と度支部大臣の閔泳綺の二人で、残りの六人は賛成あるいは黙示的賛成の立場を見せました。

しばらくして、高宗は「条約文のうち、加えたり削るところは法部大臣が日本の大使、公使と交渉せよ」という王命が下りました。大韓帝国皇帝が条約締結を承認したのです。そうして条約文修正作業に入ることになりました。李夏栄法部大臣が、第1条の「日本政府が、外国に対する関係および事務を監理指揮する」という条項のうちで、「全て自分の意のままに」という表現の削除を要求し、伊藤がこれを受け入れました。李完用学部大臣は第3条の統監権限を明らかにせねばならないと言って「外交問題に局限させて、内政は干渉しない」という内容を明記することを要求しました。伊藤はこの意見の受け入れを拒否して「外交に関する事項を監理するために、京城に駐在して」という字句を挿入する線で同意しました。統監の内政干渉不可を明文化しようとした李完用の意見を、伊藤博文が拒否したのです。

権重顕農商工部大臣が「皇室の安寧と尊厳維持を保障する」という条項の挿入を提案すると、伊藤は受け入れて、関連内容を含めた第5条を新設しました。その結果、日本があらかじめ準備してきた条約内容は四つの条項から五つの条項に増えることになりました。

李完用ではなく高宗が「条約締結」の王命を下す

伊藤が直接筆を取って文案修正作業をし、この内容を浄書した後に高宗の裁可を受け、外部大臣の朴齊純と日本公使の林の間で公式に条約を締結した時間は、11月18日午前1時でした。条約締結直後に高宗は伊藤特使に「新しい協約の成立は、両国のためにめでたいことだ。朕は病で疲れているが、お前は夜遅くまで苦労したから、どれほど疲れたであろう」と慰労の勅語を下しました。

これが主要な史料を通して精密に復元した乙巳条約締結の経過です。その過程を詳しく見れば、乙巳条約締結を決定した人は、李完用等の「乙巳五賊」ではなく高宗であるという事実が明白に出てきます。それにも拘わらず、李完用と四人の大臣が「乙巳五賊」だと追及されるようになった理由は何か?


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