朝日新聞で「語る 人生の贈り物」と題して、金時鐘さんの聞き書きがこの7月17日から8月9日まで連載され、8月11日付けでまとめが出ていました。 [URL]
金さんについては、彼の著作を読んで彼の本名や在留資格について疑問があり、また日本密航のきっかけとなった4・3事件の語りにおいても疑問があることを、これまで拙ブログで記してきました。 (下記【拙稿参照】をご覧下さい。)
これらの疑問について金さんがどのように語っているのか、あるいはその疑問を解いてくれているのかに関心があり、連載を読み続けました。 しかしこれについては次のようにあるだけでした。
墓参りを年に一度はしたいと、私は2003年、韓国の国籍を取得しました。この年に就任した革新系の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、4・3事件を「国家権力の過ち」と認めて被害者に公式謝罪しました。
解放後の済州島では、米軍政下の警察が極右勢力と組んで横暴を極めていました。「3・1独立運動」の記念日を祝う集会のデモ隊に発砲して死傷者を出し、抗議のゼネストでも多くの若者が残忍な拷問を受けて惨殺されました。目にあまる弾圧への怒りが、蜂起の導火線になったのです。 蜂起側に加わった私は追われる身となり、身を潜めました。
南単独の選挙で作りあげられた韓国の李承晩(イスンマン)政権は「反共(パンゴン)・滅共(ミョルコン)」を大義名分にして済州島での虐殺をほしいままにしました。米軍はむしろ後支えをしました。 漢拏山(ハルラサン)にこもった蜂起勢力に対し、韓国の軍隊や警察は「焦土化作戦」で中山間部の集落を無差別に焼き払い、大勢の農民が巻き添えになりました。「赤狩り」と称した民間人虐殺は、朝鮮戦争(50〜53年)まで続きます。
今でも「赤色暴動」などと非難する保守系の政治家らがいます。いまもって名乗りでない遺族が多いのも、独裁政権の圧政の記憶が消えないからです。南北関係が保守政権下で融和から対立に転じたように、いつ揺り戻しがあるか分からない。韓国社会の分断の傷はそれだけ深いのです。
私の疑問を要約しますと二点あります。
@ 2003年の韓国戸籍取得の時に、彼は親からもらった「金時鐘」という名前ではなく、1949年に日本に密航した際に不正に得た外国人登録証にある「林大造」名で戸籍を作成したこと。 両親の墓参りのために戸籍を取得したというのなら、その戸籍名を「金時鐘」でなく別人の「林大造」にしたこととは整合しないのではないか、という疑問です。
A 4・3事件でご自分が所属した南朝鮮労働党(南労党=蜂起勢力)による赤色テロについて語らないこと。 赤色テロについては、彼自身の著作中にわずかですが触れられているので、知っておられます。 しかしこれを語らずに「焦土化作戦」や「赤狩り」といった白色テロのみを取り上げて権力批判に集中していることに対する疑問です。 白色テロが凄惨だったのはその通りですが、赤色テロもまた凄惨だったのです。
【拙稿参照】
金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? [URL]
毎日の余録に出た金時鐘さん [URL]
本名は「金時鐘」か「林大造」か [URL]
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 [URL]
金時鐘さんの法的身分(続) [URL]
金時鐘さんの法的身分(続々) [URL]
金時鐘さんの法的身分(4) [URL]
金時鐘さんの出生地 [URL]
金時鐘『「在日」を生きる』への疑問
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