金芝河の告白
2018-03-06


 今韓国で広がっている「Me Too」は、当初は著名文化人によるセクハラ事件でしたが、最近では文化人のみならず政治家までも告発されるようになってきています。 しかし加害者自らの告白は、なかなか出てこないようです。

 ところで1991年と30年近く前のことになりますが、韓国の著名な文化人で、自分の犯した不道徳行為を告白した人がいました。 詩人・金芝河。 近年ならばこの名前を見ても、はて一体だれ?という反応になるでしょうが、1970〜80年代に韓国の民主化運動に関心を持っていた人には超有名人です。 何しろ朴正煕政権下で何度も逮捕され、二度も死刑判決が下り、国際的な救援運動が起きました。 日本でも救援活動が盛り上がったものでした。

 その彼が1991年2月の東亜日報に自らの「罪」を告白しました。 その抄訳が1991年4月12日付けの『朝日ジャーナル』に掲載されています。 その一部を紹介します。

私は泥棒である。 私は次のように私の泥棒歴を告白する。

私は『五賊』(1970年発表の詩。特権階級を痛烈に風刺し、逮捕される)のあと、結婚前に、酒場で働く一人の女性を妊娠させた。 私は狼狽し、嫌がる彼女に金を与え、むりやり堕胎させた。 そして棄てた。 その無慈悲な裏切りの記録と殺された胎児の血まみれな幻想が、ずっと私から離れない。 その後もう一回、他の飲み屋の女を妊娠させた。 彼女は私に相談もなく堕ろしてしまった。それから、もう一回、私の妻が虚弱すぎて私の承諾のもとで堕胎させたことがある。

私は生命運動(地球環境全体をひとつながりの生命体と考えて、生命の大切さや健康、環境、自立を求める運動)をやっている人間である。 それなのに生命を三度までも盗み、殺した。 私は堕胎に反対である。 なのに堕胎させた。この偽善‥‥ ああした残忍さは到底許されないだろう‥‥ 心がうずく。

   法的には犯罪ではないのかも知れませんが、生命運動を主導している彼には道徳的犯罪と言えるでしょう。 さらに彼は女性関係が多かったことを語ります。

私は有名人だ。‥名誉への執着が強く、とんでもない英雄意識があって‥ 海南(全羅南道南西部にある郡)で病気になる前は女関係が多かったが、暗く色情的で複雑だった。 傲慢放埓で冷酷でむら気で、性的妄想も激しい。 アルコールに耽溺し、ルームサロン(韓国の風俗店の一種)にも行き、酒を飲んでほっつきまわり、ときにはいかがわしい理髪店(看板は理髪店だが、実際は売春業を営む)にも出入りした。

 それほど詳しくは書かれていませんが、女性関係はかなり激しかったようです。 これは彼自身が語っているように、国際的にも有名人になったことが関係しているようです。 曰く「名誉への執着」「英雄意識」、これが女性遍歴に繋がったと言えるかも知れません。

 彼は1970年代の朴正煕ファッショ的軍事独裁政権に対し果敢に闘う民主化運動の象徴でした。 しかし彼自身は次のように告白します。

出獄後は、転向書を書いたのかと、よく尋ねられる。 はっきりさせておきたいが、私は(転向書を)書けと言われるたびに書いた。 『蜚語』(1972発表の詩)の時は、きわめて卑屈に、民青学連事件のときはきわめて堂々と、1980年の出獄の時は堂々かつ卑屈に、そして、最後の時には臆面もなく「酒を飲ませてほしい」と書いた。 そのせいか、出獄後、全斗煥政権関係者に何度も酒をおごられたし、牛肉だの、りんごだのを贈られた。 私は大物になったような気になって、しっかりもらって食べた。 これまた泥棒である。

 民青学連事件とは 1974年、全国民主青年学生総連盟関係者の多数が政府転覆を図ったとして軍法会議に起訴され、金芝河らに死刑判決が下った事件です。

 金芝河は全斗煥時代に転向したとされていましたが、実際はそれより10年も前の1970年代前半には転向していたのです。 さらに彼は、自分の経歴の虚偽を告白します。


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