在日自身も本国政府も、在日は日本国籍ではなく外国人だということで一致していたことは、前回の通りこの本に記述されています。 ところがこの本には次のような矛盾する記述が出てきます。
日本政府の姿勢は‥‥在日朝鮮人の日本国籍を一律に奪う方向に転じたのである。(126頁)
1952年に在日朝鮮人が日本国籍を喪失するということは、正式に「外国人」になるということです。 これは前回論じたように在日自らが求めていたものであり、また本国政府の考え方でした。 従って日本政府が在日の日本国籍を喪失させたのは、在日にとっては自分たちの願いが実現したことになるはずですが、この本ではこれを「奪う」と被害を与えたように表現しています。
「日本国籍を奪う」というのは、いわゆる「日本国籍剥奪論」のことです。 この論の前提は、在日がそれまで有していた日本国籍は正当である、というものです。 つまり正当に取得された日本国籍を日本政府が一方的に「奪った」「剥奪した」ということになります。 これは更に、1910年の日韓併合条約は合法的になされたので全朝鮮人は日本国籍を有することになったという歴史に繋がります。
しかし韓国や北朝鮮では、日韓併合条約は不法であり従って朝鮮人は当初より日本国籍を有していたことはない、という歴史になっています。 この歴史からすると、1952年に在日が「日本国籍喪失」したのは本来の姿に戻ることであって喜ばしい事態です。 従って「日本国籍剥奪論」は本国の歴史観に反し、併合条約を合法正当化しているトンデモない考え方ということになります。
日本国内で国籍剥奪論を唱える人は多いですが、この矛盾についてはなかなか言及しません。 小林知子さんが「在日朝鮮人の『帰国』と『定住』」(岩波書店『東アジア近現代通史7』2011年2月所収)のなかで、この矛盾を次のように記しています。
日本政府は‥‥国籍選択権利さえ与えずに、日本国籍を剥奪した(註2)。(199頁)‥‥(註2)韓国併合を不法不成立とみる見解からは、朝鮮人には日本国籍があったという前提自体も問い直されるべきではある。(205頁)
本文と註に、たったこれだけです。 本文に堂々と「日本国籍を剥奪」と記していながら、矛盾に気付いて註に「日本国籍があったという前提自体も問い直されるべきではある」と付け加えたようです。
しかし「問い直されるべき」は本文で「剥奪」と記したご自分に対してであって、これに自身の見解を何も出していないのは、いかがなものかと思います。
【拙稿参照】
国籍剥奪論 [URL]
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(6) [URL]
【これまでの拙稿】
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(8)―戦前の強制送還者数 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(9)―ハングル投票 [URL]
水野・文『在日朝鮮人』(10)―子弟の教育 [URL]
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