国籍剥奪論
2006-07-15


>剥奪論の中で問題視されている「国籍」は、主に在日の日本国内における地位を問題にしているのであり、感情論から来る「元の国籍を取り戻す」という願いは、必ずしも「日本国内における地位」を視野に入れていなかったのではないでしょうか?>

 終戦=解放後における在日の主張は、日本国内で日本人より有利な外国人という地位が欲しい、という観点からのものです。  1980年代から登場した剥奪論は、日本国籍が欲しいのではなく、外国人であり続けたいが日本人と全く同じ地位・権利がほしい、という観点からのものです。  従って「日本国内における地位」は視野に入っています。

>在留資格を保留したのは、言葉を変えれば即座に「永住資格」を与えなかったという事だと思います。>

 126-2-6という在留資格(朝鮮・台湾といった旧植民地出身者)は、他の資格のような制限を設けずに引き続き日本に在留できる、というものです。在留資格のなかで最も有利なものです。「永住」という言葉はありませんが、それと同等あるいはそれ以上の意味です。従って「永住資格」を与えなかったという点は、言葉的にはその通りですが、中身においては誤りです。

>自分たちは朝鮮人であり「敗戦国民」「敵国民」にされたくないというやはり感情レベルの意味ではないでしょうか?>

 それはポツダム宣言の内容(朝鮮の独立)を実行するという意味がありますので、感情のレベルかどうか疑問です。朝鮮人は1945年までは「大日本帝国臣民」であり、それ以降は日本から解放=離脱したということです。

>仮に、その地位が「在留資格」をも視野に入れていたのであれば、その要求は満たされたのでしょうか?>

 満たされました。

> この間、厳密には1991年の「特別永住」までは在日朝鮮人に対する日本国内における在留資格は極めて不安定なものであったのではないでしょうか?>

 126-2-6は法律ですので法律上の地位は安定しています。不安定であるという主張は大きな間違いです。不安定であったのは、法律上の定めのなかったその孫以降の世代です。

>これを「有利」と言えるかについては甚だ疑問があり、間違っても「永住」と同等とは言えないと思いますが如何でしょうか?>

 永住権者よりはるかに有利な処遇を受けてております。

> しつこくまとめますと、在日が訴える「国籍剥奪論」は、本当に剥奪か否かという問題ではなく、その本質は、例えばドイツなどに比して、戦後処理責任を真摯に行わなかったという指摘だと考えますが如何でしょうか?>

 国籍剥奪論は朝鮮の解放を否定する言説です。つまりポツダム宣言の精神を否定し、日本の植民地支配を引きずるものです。  「戦後処理責任を真摯に行わなかったという指摘」は誤りです。

>(1)1952年、日本政府はどうして在日の在留資格を保留(「別に法律で定めるところにより、その者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間は・・・・」)したのでしょうか?その次点で何故、永住資格をあたえなかったのでしょうか?>

 繰り返し言っていますように、永住資格より有利な地位を与えております。  それまで日本の帝国臣民であったという歴史的経緯および当時の東アジア情勢から、この地位となったものとされています。またこれはかなり特殊なもので、十分な検討をされないまま1952年を迎えたために、とりあえずの法律となったとされています。

>永住資格を与えられた場合、その子も、その孫も、永住資格を与えられます。>

 これは間違いです。永住資格の子については法の定めがありませんでした。その当時は、外国人というのは一時的滞在者であって、永住する気なら帰化するものとされていた時代です。ましてや永住する外国人が子をもうけることは想定外のことでした。  なお永住資格の子供については、現在も永住する権利は与えられていませんので、出生後90日以内に永住権を申請しなければなりません。


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