在日は1952年の平和条約発効にともない、日本に継続して居住しながら日本国籍を離脱した人たちです。彼らの法的処遇は126-2-6から始まります。
この法律では「別に法律を定める」までは、在留資格・在留期限を定めることなく、日本に在留できるというものです。これは従来通りに、自由にかつ無期限に日本に滞在できるというものです。しかし「別の法律」を定めるべきと明記されたにも拘わらず、長年定められませんでした。
その子供はどうするのか、この時の法に定めがなかったので、出入国管理令にある「その他」の在留資格の一つとして4-1-16-2が定められ、そのまたその子供はどうするのかとなり、4-1-16-3が定められました。しかしこれらは「その他」ですので、あくまで特殊例外的な位置づけです。
1965年に日韓条約が締結し、これにより在日のうちの「韓国籍」のみに協定永住が認められることになりました。さらに協定永住者以外の在日に永住権を与えるための「特例永住許可」という制度も設けられました。これは申請して許可を受けるものです。
つまり在日は、その歴史的由来は同じであるにもかかわらず、126-2-6、4-1-16-2、4-1-16-3、協定永住、特例永住等々の様々な法的地位に分かれるという複雑な状況になりました。
時代を経るとともに複雑化してきました。そのまま放置すれば、これまでと同様にその場限りの処置を繰り返すだけになり、さらに複雑化していきます。その最大の原因は、1952年の法律第126号に「別に法律を定める」と明記されているのに、制定してこなかったことです。この点で、日本側の不手際を指摘しておきたいものです。
特別永住はこのように複雑化した在日の法的地位の問題を解決するものとして定められたものです。40年前に「別に法律を定める」とされたことが、ようやく定められたのが特別永住です。
以上が特別永住の経過の簡単な概略です。特別永住制度は在日の法的位置づけの問題を解決したと言っていいものです。
ところがこのような経過で成立した特別永住ですが、「特権」「身分差別」「貴族制」というような言葉で否定する方が現れたのには驚きます。特別永住は外国人のなかで最も恵まれた在留資格ですが、それでも日本国民という法的地位には及びません。
特別永住制度をなくせという運動が登場していますが、余りにも非現実的なものです。一部の在日活動家の主張に対抗しているだけの運動に止まればいいのですが、これがすべての在日に対する対抗的あるいは嫌悪的主張となっている傾向が強く、困ったものだと思います。
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