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トンデモ話がどのような経緯で始まり、どのように信じられて広がっていったのか、分かりやすくするために時系列でまとめてみました。 これまでの『朝鮮日報』記事だけでなく、検索して得られた記事も参考にし、私のコメントを挿入しました。
・1988年11月: 詩人の高銀が『ハンギョレ新聞』に、「ホーチミンは茶山丁若�繧フ『牧民心書』を読んで感動し、丁若�繧フ命日にはチェサ(法事)を挙げるくらいに尊敬した」というトンデモ話を投稿。 今のところ、これが文献上に残る最初のトンデモ話記録である。 なおこの年にソウルオリンピックが開催され、ベトナムは北朝鮮がボイコットを呼びかけたにもかかわらずこの呼びかけに応じずに参加した。 このことがトンデモ話に関係した可能性はある。
・1992年: 作家のファン・インギョンが小説『牧民心書』を出版し、その序文に「ホーチミンは終生『牧民心書』を枕元に置いて教訓とした」と記した。 この年に韓国はベトナムと国交を正常化したので、両国友好の象徴としてこのトンデモ話が広がったとも考えられる。
・1993年: 嶺南大学教授のユ・ホンジュンが『私の文化遺産踏査記』を出版し、その中で次のように記した。 「ホーチミンが不正と非理追放のためには朝鮮の丁若�繧フ『牧民心書』が必読の書だと言ったという話が伝えられているので、これがあの方の偉大さを証明するものとしたい」。 ユ・ホンジュンは後に盧武鉉政権の文化財庁長官を勤めるような人だったので、韓国では権威ある研究者がこのトンデモ話にお墨付きを与えたことになる。
・1994年: 高銀が『京郷新聞』の「私の山河 私の人生―革命家の死と詩人の死」というタイトル記事で、「ホーチミンは少年時代、激動の朝鮮後期の実学者である丁若�繧フ牧民心書を求め、彼の命日を知って追悼することを忘れないようにした」と書いた。 高銀は6年前の1988年にも同じことを『ハンギョレ新聞』に書いているから、トンデモ話を本当と信じ込んでいたと思われる。
・2004年6月: 『東亜日報』フランス特派員が、「フランスの作家が書いた『ホーチミン評伝』を見ると、ホーチミンは最も尊敬する人物として茶山を挙げた。 彼は『牧民心書』を読んで、体が震えるほどの感動を受けたという。 そしてこの本から霊感を得て、ベトナムを引っ張っていく方向を定めたと告白した。 毎年、茶山の命日にはチェサ(法事)まで執り行なったというから、彼の尊敬する心がどれ程かを推察できる」という記事を書いた。 なおフランスの作家が書いたという『ホーチミン評伝』の所在について、この特派員記者は15年後の2019年に問い合わせされた時に「忘れた」と回答している。
・2004年:7月 茶山研究所パク・ソクム理事長はHPで、「ホーチミンの枕元には『牧民心書』がいつも置かれていたという。 茶山の命日まで知っていて、毎年チェサ(法事)を手厚く執り行なっていた」と記した。 丁若�繧フ専門研究機関までもがトンデモ話を持ち出した。 トンデモ話に更なるお墨付きを与えたのである。
・2005年: 丁若�繧フ生地である韓国の南揚州市とホーチミンの故郷であるヴィン市との間に、姉妹都市が結ばれる。 このトンデモ話に基づいて、国際交流まで行なわれるようになった。
・2006年: 『聯合ニュース』は茶山研究所理事長とともにベトナムのホーチミン博物館を訪ねたところ、ウンウォン・ティ・ティン館長から「わがホーチミン博物館には『牧民心書』はない‥‥『牧民心書』に関連する主張は明らかに誤伝である」と言われたと記した。 これがトンデモ話を否定する最初の記事のようである。 しかしトンデモ話は鎮まることはなかった。
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