金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(2)
2024-08-04


 金さんがこの摘発を免れたのは、彼の風体(詰襟の学生服)だけでなく、警官の言っていることが理解できたので怪しまれなかったからではないかと思われます。 日本語が理解できない外国人は、今でもそうですが、日本語ばかり飛び交う日本社会ではかなり目立つ存在です。 ひょっとして警官から話しかけられても、訛りのないきれいな日本語が口から出たのかも知れません。 そうであるなら、その時は田舎から出てきた真面目な日本人学生と見られたでしょう。 それはともかく、この訛りのないきれいな日本語がその後の日本での生活に役に立ち、密航者と怪しまれない道具になったのではないかと想像します。

 金さんは大阪の猪飼野という済州島出身者が多く集まる地区に居を定め、石鹸工場に勤めるなどして生活を始めます。 その時、住む場所や働き口をどうやって探したかというと、これは容易に想像できます。 猪飼野では済州弁が通じたのでした。 そこでは同じ済州人として互いに助け合うという風潮があったのでした。 従って金さんは日ごろ朝鮮人同士では済州弁を使っていたものと思われます。 猪飼野は済州島からの密航者に住みやすい土地なのでした。 (続く)

【拙稿参照―終戦直後の在日朝鮮人の状況】

戦後朝鮮人の振る舞い―「事実」の経過 [URL]

戦後朝鮮人の振る舞い―NHK記事に民団が人権救済申し立て [URL]

戦後の朝鮮人の振る舞い―事実を語るべきか [URL]

水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 [URL]

張赫宙「在日朝鮮人批判」(1)   [URL]

張赫宙「在日朝鮮人批判」(2)   [URL]

権逸の『回顧録』          [URL]

終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’  [URL]

在日朝鮮人の「無職者」数      [URL]

闇市における「第三国人」神話    [URL]


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