韓国語の雑学―客妾(〓〓)
2024-03-10


 性風俗は国や民族によって違いがあります。 また歴史の時代によっても違いがあります。 現在では人権や倫理の観点から否定されるべき性風俗が各国・各民族で見ることがありますが、そうでない限りそれぞれの性風俗は尊重されるべきです。 さらにそれが過去のものであるなら、もう今は存在していないのですから、あげつらうものではありません。 ですから性風俗は国によって違う―他民族を誹謗すべからず、です。

 ということで、今回は隣国朝鮮での昔の性風俗で「客妾(〓〓)」の話です。 この言葉は朝鮮史に相当詳しい人でなければ知らないでしょう。 韓流ドラマの〓〓(史劇 ―時代劇)にも出てきていないと思います。 少なくとも私の見た〓〓には、ありませんでした。 30年以上前の本ですが『ソウル城下に漢江は流れる』の中に、次のような記述があります。

むかし朝鮮の旅人たちは空腹になると、酒幕(居酒屋兼旅籠)に寄って簡単な腹ごしらえをしたり、旅の途中で日が暮れると客主(商人宿兼問屋)を尋ねたり、まれには素封家の屋敷に招かれて一夜の世話を受けたものである。 酒幕や客主のほかは、ソウルにも地方にも気のきいた食堂や料理屋などはなかった。 それでは旅人たちはどのように旅情を慰め、どこを宿にしたのであろうか。

客人として地方の有力者の家で一夜を過ごす場合、泊まる客人の身分にもよるが、たいてい食事の世話をするのは饌婢(せんぴ)と呼ばれるはしため(端女)である。 接客する方も夜伽(よとぎ)を差し出さねば済まないほどの高貴な客が来訪すると―むかし朝鮮では一時、賓客が訪れると娘や妾を差し出して添い寝させる風習があって、これを客妾と言った―どんな大監(正二品以上の高官)であっても、夫人とか娘を客に供し、彼女たちはそれぞれ独自の方法で相手を勤めたものである。 (以上、林鐘国『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』平凡社 1987年1月 16頁)

 ここに「客妾」が出てきます。 いまNAVERの国語辞典を見ると、「客妾(〓〓)」は次のように説明されています。

〓〓〓, 〓〓〓 〓〓(侍寢)〓 〓〓 〓〓. 〓〓 〓〓〓〓 〓〓〓 〓〓〓. (昔、客の侍寢=夜伽をした女。 普通、その家の主人の娘や妾である)

 また別に検索してみると、次のような例が記されていました。

〓〓〓 〓〓〓 〓〓〓〓 〓〓〓〓〓〓 〓〓 〓〓 ‘〓〓(客妾)’〓 〓〓. (科挙に及第したソンビ(士人)が故郷に錦を飾って帰る道で、奉仕を受ける“客妾”もいる)

 なお〓〓は直訳すれば「得る」ですが、ここでは「奉仕を受ける」と意訳しました。

 貴人あるいは高位の人が自分の家に泊まりに来たらその寝床に、娘か妾、時には妻を差し出すという慣習があったということです。 今から見ると、女性差別の最たるものでしょうが、かつての朝鮮ではあったのでした。

 ただ歴史的に見ると、この慣習は朝鮮だけにあったのではなく、全世界的にあったものと推定されます。 例えば古代日本では、日本武尊の東征伝説のなかに、日本武尊が「尾張に至りて、尾張国造の祖美夜受比売の家に入りましき、すなわち婚(まぐわひ)せむと思ほし」(古事記)とあります。 「婚」を「まぐわひ」と読むのは、ずばり性行為を意味します。 尾張の有力者である国造の家に泊まり、客妾の接待を受けたと推定できます。

 世界史では、コロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見した際、現地で歓迎を受けました。 そして帰還後間もなくしてヨーロッパでは梅毒が流行しました。 それまで梅毒のなかったヨーロッパで急に流行したのですから、コロンブス一行がアメリカ現地で女性と性交渉した際に当地の風土病であった梅毒に感染して持ち帰った、というのが通説になっています。 性行為は暴力的に強姦したのではないとされているので、現地の部族は神の使いが来たとして女性を差し出した、つまり客妾の接待をしたのだろうと推定できます。

 それ以外にアジアの遊牧民族に、客妾の慣習があったと言われていますが、そこは確認できませんでした。


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