日本人に伝わった朝鮮の「叩き洗い」洗濯文化
2023-11-07


 伊東順子さんの『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社 2001年10月)を読んでいたら、次のような記述があり、驚きました。

愛知県には、戦前に三信鉄道という鉄道があり、その敷設工事に多くの朝鮮人が動員された。 そこで当時、賃金の未払いを理由に大規模な争議があったのだが‥‥ この争議が画期的だったのは、村人が争議団の支援に回るなど、当時としては朝鮮人と日本人との関係が破格によかったことだ。 そのせいか、朝鮮人が去ったあとも、村人は朝鮮式の「叩く洗濯」を真似し、戦後、洗濯機が普及するまで、どこの家庭にも洗濯棒が残っていた。 (117頁)

 三信鉄道というのは今のJR東海の飯田線のことで、敷設工事は昭和4年(1929)に始まり、同12年(1937)に開通したものです。 争議は工事に従事した朝鮮人たちが賃金の支払いを求めて1930年から断続的に起こしたもので、日本の全協(戦前の労働組合ナショナルセンターである「日本労働組合全国協議会」の略)からの支援もあったとされます。 この争議に日本人も協力したのです。 戦前における朝鮮人と日本人との連帯として、かつて取り上げられていましたねえ。 この争議の際に、朝鮮式の「叩き洗い」洗濯文化が日本人に伝わったというところにビックリしたのです。

 日本における洗濯の歴史は、戦国時代までは足踏み洗い、戦国時代になってタライの横にしゃがんで手もみ洗いへと変化して江戸時代に続き、明治時代に西洋から洗濯板が入ってきてタライに洗濯板を使って洗うようになり、これが戦後の洗濯機の普及まで続く、というものです。 ですから日本にはもともと「叩き洗い」がありませんでした。

 一方、朝鮮の叩き洗いは時おり韓国ドラマに出てくるし、また中国から鴨緑江越しに撮影される北朝鮮の映像にも出てくることがありますので、ご存知の方も多いのではないかと思います。 朝鮮での古来からの洗濯方法は「叩き洗い」でした。 ですから愛知県での叩き洗いは、三信鉄道争議の際に朝鮮人から日本人へと伝わった文化と見て間違いないでしょう。

 ところで朝鮮では男性が洗濯するという文化がありませんので、おそらく「叩き洗い」をしていたのは朝鮮人女性と思われます。 とすると洗濯をしていたのは、三信鉄道敷設工事に動員された朝鮮人男性たちの身の回りの世話をしに来た朝鮮人女性ということになるでしょう。 こういう女性が周囲の日本人に「叩き洗い」を伝授したのではないか、という推測が成り立ちます。

 なお日本でも洗濯は女性が担うとされていましたが、実は日本では明治時代以来の兵役義務により男性が徴兵されるのですが、軍服や下着などは自分で洗濯することを厳しく躾けられました。 ですから兵役経験のある男性は、除隊後も自分で洗濯する人が結構いたようです。 愛知県で朝鮮から伝わった「叩き洗い」文化も、日本人男性が担ったかも知れません。

 日本の「叩き洗い」は愛知県のごく一部にワンポイントで伝わったのみで、全国に広がりませんでした。 日本における洗濯の歴史の中の、ほんの小さなエピソード的な話でしかないでしょう。 たまにはこういう役に立たないお話もいいじゃないかと書いてみました。

【「叩き洗い」と「砧打ち」の違い】

 朝鮮の「叩き洗い」を「砧打ち」と間違える人が多いですね。 「叩き洗い」は洗濯物を川に持って行って、水に浸けながら川原の平べったい石の上に置き、木槌で叩いて汚れを落とす作業です。

 「砧打ち」は、汚れを落とした洗濯物を家に持ち帰って干し、生乾きの段階で「砧」の台に畳んで載せて叩く、あるいは棒に巻きつけて叩く作業で、これによってしわを取りつやを出します。 今でいうと、アイロン掛けに相当します。

 「叩き洗い」と「砧打ち」は作業工程が違うし、道具も違います。 しかし日本では砧打ちの風習が明治時代に消え去ったために「砧」がどういうものか分からなくなったためか、朝鮮の「叩き洗い」を「砧打ち」と間違って言うのですねえ。 

【朝鮮の洗濯と砧―拙稿参照】


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