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1950年から始まり1953年まで続いた朝鮮戦争。 今回の論説もそうですが、北朝鮮の朝鮮戦争の説明には中国人民解放軍に全く言及しません。 50年前の1970年代に朝鮮総連の方とこの戦争について話したことがありました。 その時も彼は中国人民解放軍に触れようとしなかったことを思い出します。 彼が“もう少しのところで祖国が統一されようとした時にアメリカが邪魔をした”と言うので、私は“そうであるならばその後国連軍は鴨緑江まで進軍し、朝鮮は統一目前だったのに中国が介入して統一を邪魔したと言えるのではないか”と疑問を呈したことがあります。 それを契機に議論をしたのですが、朝鮮総連では朝鮮戦争における中国人民軍の果たした役割をほとんど無視していることを知りました。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は滅亡されかかった時に中国人民解放軍に助けられて国を守ることができたというのが歴史的事実と考えていた私には、中国人民解放軍を全く無視する朝鮮総連の説明に大きな違和感を持ちました。 その後、この説明は祖国の北朝鮮自体がやっていることを知りました。 国際プロレタリアートの連帯として中国人民解放軍が参加したのですから何も隠す必要はないのにと思ったのですが、北朝鮮・朝鮮総連は外国勢力の助けなしに自力で戦ったと言うばかりです。
主体思想というイデオロギーのために歴史事実を歪曲する典型例と判断できました。 北朝鮮が語る「歴史」は事実の積み重ねではなく、単にプロパガンダであり、検証できるものではないと知ったのです。 北朝鮮の「歴史」はカルト宗教の経典と変わらない、そう考えながら北朝鮮の「歴史」を読むものだ、と今でも考えています。
なお日本でも昔になりますが、戦時中に大本営発表の連戦連勝を信じ、また歴史でも天孫降臨・神武東遷神話を信じていたのですから、偉そうなことは言えません。
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7・27が刻みつける真理は、二番目に全人民の反帝階級意識が透徹してこそ、勝利者になることができるということである。
革命戦争は、階級的仇敵たちとの誰が誰と勝負するかの闘いである。階級的仇敵たちに対する非妥協的な闘争精神で、頭の上から足の先まで武装できないならば、熾烈な戦争で勝利できない。
反帝階級聖戦で、革命的人民が守らねばならない思想精神は、帝国主義者たちと階級的仇敵たちの本性は絶対に変わらず、仇敵たちとのひたすら堅固で、最後まで戦って勝たねばならないという透徹した覚悟である。山犬は血を吸ってこそ生きることができるように、帝国主義者たちや階級的仇敵たちは勤労人民の血と汗だけで生存できる。侵略と略奪、野獣性を体質化した仇敵たちに対する幻想は即ち死である。
我が党は新祖国建設の初めの時から、永遠に変わることのできないアメリカ帝国主義の本性と悪だくみを見抜き、それに徹底して備えてきたので、敵たちの不意の侵攻や断末魔あがきも一つずつ粉砕して勝利を争取することができ、全民族が完全に絶滅されるところだった大惨事も防ぐことができた。
透徹した反帝階級意識と両立できない思想傾向がまさに敵に対する恐怖である。敵に対する幻想が仇敵たちの本性に対する無知の表現であるなら、恐怖は敵の《強大性》に対する敗北意識の発現である。戦略的な一時的後退時期に、我が人民と軍隊は少しの悲観や動揺もなく、苦難の千里の道をかき分け、偉大な首領様の懐を訪れて、アメリカ帝国主義のしつこい原子爆弾の恐喝にも肯ぜず、大衆的英雄主義と犠牲性を発揮して、ついに戦勝の祝砲を打ち上げることができた。
火薬を濡らさないようにしてこそ滅敵の威力を発揮する。苛烈な祖国解放戦争と今日までの反米対決が見せてくれたように、階級意識、主敵観が揺るがなかった時に初めて争取した勝利の伝統を屈せずに粘り強く続けていくことができる。
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