在日の古代史(1)―古代渡来人と広開土王碑改竄
2023-07-01


 在日総合誌『抗路』10号(2022年12月)に李成市「『在日』にとって古代史とは何だったのか」と題する論稿がありました。 それを読みながら、そういえば昔そんなことがあったなあと思い出すとともに、韓国や北朝鮮の古代史研究は今もそんな状況なのかと感心というかビックリしました。 古代史に関心のない人にはどうでもいい話でしょうが、私には興味深いものでしたので、引用・紹介しながら自分の感想を挟みます。

金達寿の「古代渡来人説」と李進煕の「広開土王碑改竄説」

 1972年の高松塚古墳壁画の発見によって、日本は古代史ブームが起きました。 その時、この壁画が百済・高句麗・新羅からの影響があったのではないかとして、韓国や北朝鮮の研究者が来日して日本の研究者らと議論するなど、大いに沸いたものでした。 このように日本古代史において朝鮮半島との関係が大きな話題になった時期と重なるように出てきたのが、金達寿の「古代渡来人説」と、李進煕の「広開土王碑文改竄説」でした。 李成市さんはこの時の状況を次のように説明しています。

当時(1970年代)‥‥戦後にも引きずっていた「日本社会の皇国史観の残滓」「朝鮮に対する先入観」「侵略史観の土壌」等に対し、金達寿・李進煕らの「在日の古代史」は、「東アジアの視野に立って古代日本の実像を考える」ことを熱望していた市民にとって、「国際感覚や世界観、さらには人生観に至る意識革命」をもたらすものと受け止められていたのである。 そのような市民の心情に応えるように金達寿・李進煕両氏は‥‥新たな古代史研究の場を創出し、その中心的な役割を果たした。 (103頁)

古代において日本列島は朝鮮半島から渡来した人々のフロンティアであったということを、地名や神社仏閣の由来から説き起こす金達寿氏の『日本の中の朝鮮文化』は、圧倒的な共感を覚えたに違いない。 戦後の日本社会において不当な扱いを受けてきた在日にとって主客が逆転するような思いを持った人々が少なくなかったのではなかろうか。 (106頁)

李進煕氏の広開土王碑改竄説は、古代日朝関係史の定説は陸軍参謀本部の陰謀に成り立っていたという憶測を導き出しかねず、江華島条約以来、近代日本が行なった植民地支配に及ぶ歴史的な経緯を想起するとき、大いに鼓舞するものであったことは当時に生きる在日であれば、容易に推察される (106頁)

古代史を専門とする一部の歴史研究者以外にとって、(金達寿の)「渡来人」、(李進煕の広開土王碑の)「改竄説」の二つの問題提起は、当時の論調を見てみると、リベラルな立場の人々であればあるほど、疑いようのない主張と取られたとみてよい。 近代日本の歴史そのものが朝鮮人に対する抑圧と隠蔽、排除からなっていたがゆえに、古代史もまた近代朝鮮の植民地化の過程ででっち上げられたとしても不思議はないという憶測に信ぴょう性を与えかねなかったのである。(107頁)

古代渡来人説

 古代日本に朝鮮半島からの渡来人が活躍したのは『古事記』や『日本書紀』に記載されていますから、それ自体は歴史的事実として認められます。 しかし金達寿ら「日本の中の朝鮮文化」を探ろうとする運動はその歴史事実を誇張して、渡来人は野蛮な日本に文化を教えて文明化してあげたとまで言うとなると、ちょっと待ってくれと言いたくなります。 そのあたりの事情を、李成市さんは次のように解説します。


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