4月15日付の本ブログで、植民地下の朝鮮における民族差別の一つとして、下記のように給与差別があると論じました。 [URL]
属人主義の差別として、給与差別を挙げることができます。 朝鮮では公務員の給与において、宗主国の日本人には6割の外地手当(加俸という)が出ました。 これは海外赴任手当のように見えますが、朝鮮で生まれ育った日本人でも朝鮮総督府に勤めればこの6割の手当が貰えたといいます。 同じように朝鮮で生まれ育っても朝鮮人にはその手当がないのですから、正に民族差別です。
これの裏付けとなる資料として、任文桓『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(ちくま文庫 2015年2月)を再度紹介します。
この資料のなかにある「バウトク」は任文桓の幼名。 〓〓 〓(岩の徳)の意で、この本では自称でこの名前を使っています。 また「昌平」は任文桓の友人の秋山昌平。 任と秋山は同じ旧制六高・東京帝国大学法学部を経て、一緒に高等文官試験に合格し、朝鮮総督府に赴任しました。 親友関係だったので、互いの給与を知っていました。 まずは赴任する際に支給される「赴任旅費」です。
東京から京城までの赴任旅費としてバウトクには70円が渡された。ところが昌平は60円も多い130円を貰った。(223頁)
ある日、六高の先輩である警務課長吉良喜重市が、彼(バウトク)の赴任旅費は値切り過ぎだと、学務課長に文句をつけた。‥学務課長は、本人が承知して受け取ったあとだからを理由に、増額に応じようとしなかった。 ‥‥勝手に金額を決めた‥(225頁)
赴任旅費には担当官の裁量部分が大きかったようで、その際におそらくは朝鮮人だからという理由で旅費を少なく出したのでしょう。 担当官は、“それで本人が承知したのだから”と言い逃れしたということです。 こんなことを言われても、本人が納得できるはずもないでしょう。 次は「加俸(外地勤務手当)」と「宅舎料(住居手当)」です。
(朝鮮総督府で)バウトクの月給は75円であった。 ところが昌平のほうは、この金額の6割にあたる植民地勤務加俸なるものが上積みされ、その上に、宅舎料なるものまで加給されるので、昌平の給料は130円を上回った。 おかしなもので、バウトクのように日本で勉強して京城に家一軒持たない者には、加俸も宅舎料もくれないくせに、朝鮮で生まれ、そこで学校を終え、京城にある豪華な自宅から通勤する者でも、父母が日本人の原種でありさえすれば‥大手を振って加俸と宅舎料が貰えた。(223〜224頁)
こうして出来た昌平とバウトクの月収の差は、たいそうなものだった。‥‥年の暮れに支給されるボーナスも、月収の何割で計算されるので、これにも二人の友人のあいだに大きな差が出来た。(224頁)
「加俸」と「宅舎料」は、この資料に「朝鮮で生まれ、そこで学校を終え、京城にある豪華な自宅から通勤する者でも、父母が日本人の原種でありさえすれば‥大手を振って加俸と宅舎料が貰えた」とありますように、現地採用でも日本人(当時は内地人)でありさえすれば貰え、朝鮮人には貰えませんでした。 そして東京で採用されて朝鮮に赴任した場合でも、日本人は貰えて朝鮮人は貰えませんでした。
つまり朝鮮人であるという理由だけで日本人よりも6割も給与が安く、住居手当もないという、明白な民族差別だったのです。 この収入の差は、職場での民族間に微妙な葛藤を生じさせます。
官界というところは、何と言っても月収の嵩が人品を決める標識となる世界であった。 したがってバウトクの下で働いている属僚(部下)でも、原種日本人でありさえすれば、月収は彼(バウトク)よりはるかに多く、彼(バウトク)が日本の名門学校で学び、特待生として優遇され、朝鮮の役人中には例がないほどに優秀な成績で高文(高等文官試験)に合格したと自負してみたところで、彼(バウトク)の部下である原種日本人どもは、鼻の先でこれをせせら笑っていた。(224頁)
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