『抗路8』(2021年3月)に尹健次さんの「日本語と朝鮮 主体の揺らぎ」と題する論考があり、在日のアイデンティティ(主体性)について次のように書いておられます。
そもそも、「在日」を生きるとは、差別に抗して生きることであった。(141頁)
つまりは、「在日」の民族的アイデンティティは、被差別体験という触媒によって獲得され、それは「日本」「日本人」にあがらうことをひとつの本質としてきた。(142頁)
(在日)三世・四世は日本社会のなかに溶け込み、日本語を確実に母語とする生活を営みながらも、被差別的な違和感に苛まれることが少なくなく(143頁)
(在日の若者は)朝鮮語を学ぶことによって差別社会・日本で人間としての自己を確認し、再生しうる道を切り拓いていった(145頁)
日本によって奪われ、屈従を強いられる主体性を奪還しようとするときも、多くは日本語で思考し、表現していかざるを得なくなる。(149頁)
出自・来歴を朝鮮半島だと意識し、日本の朝鮮侵略の真実を自覚する方向に向かうかぎり、「民族性」を帯びた在日文学は終焉を迎えることはなく、日本と朝鮮の不幸な関係を清算するためにも、「抗い」「ともに生きる」道を模索しつづけることになる。(151頁)
「在日」はもちろん、世界にあふれる移民・難民にとって、異郷・苦境・被差別の中で感得する出自や来歴の自覚ないし意味づけはアイデンティティのより重要な要素になっていく(163頁)
尹さんは在日のアイデンティ(主体性)について、このように「被差別」「日本の朝鮮侵略」「植民地主義」という言葉で表されるように、過去の歴史とそれに続く差別という“被害者性”に求める発言を繰り返しておられます。
日本の植民地から解放されたのが1945年ですから、それから76年。 36年間の日帝植民地支配の二倍以上の年月が過ぎており、今では植民地を体験した在日は超高齢者で、ごく少数となっています。 それでも「朝鮮侵略」「植民地主義」が在日の主たる課題としているところに、私の大きな違和感があります。
また「被差別」とありますが、確かに日本社会では1970年代前半までは在日朝鮮人差別は激しかったし、そして日本人から差別されたことは当時の在日の共通体験でもありました。 民族差別反対闘争(いわゆる日立闘争)では、俺にも言わせてくれという在日が次々と現われ、真に迫った被差別の実体験談が多く語られたと言います。 それが1980年頃から、在日の若者に民族差別のことを言っても「一体どこの話?」と言わんばかりにポカンとしていると聞くようになりました。
1980年代になると、民間企業は日立闘争で在日側の勝利によって就職差別をしないようになり、また公務員就職差別は一部を除いて国籍条項がなくなってほぼ解決し、福祉等における差別も1982年の難民条約以降多くが解消しました。 それでも在日は差別されているのだと指紋押捺反対の運動などが盛んになりましたが、これも1991年の特別永住制度で解決しました。
今や在日への差別は、在特会とか嫌韓偏執狂としか言いようのない一部の日本人の特異言動に限られていると、私は考えています。
ところで尹さんは、今は在日の主体が揺らいでいると論じます。
(在日の)世代交代がすすんだ現時点において、また「帰化」その他で日本社会に溶け込み、民族とか祖国、母国語といった思考意識を持たない、持てない多くの「在日」出身者がいることも確かであろう。 「在日」の定義自体、植民地支配の所産、国民国家・日本の枠内にあるマイノリティということではすまなくなっている。「祖国」や「母国語」という言葉そのものが実体を欠いた「幻」になっているのかも知れない。(162頁)
尹さんはこのような「主体の揺らぎ」を最近のこととしておられるようですが、実は1980年代以降から進行してきたものです。 在日は本国韓国人と言葉が通じる一世が引退するともに、韓国にいる親族との往来が途絶えるようになり、ついには「民族」「祖国」「母国語」とは切れていくのが大部分です。
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