前回 [URL] で、「宮城道雄が朝鮮滞在中に作曲した『唐砧』は、朝鮮女性が砧を打つ音を聞いて、それを音楽に取り入れた曲」「宮城が朝鮮の砧の音をメロディー化した最初の人」と論じました。 これについて宮城自身が「朝鮮にて」という回想文のなかで次のように記しています。
朝鮮に来て誰しも感じるのは砧の音であろう。 殊に秋の夕方にあの音を聴くと何ともいえぬ感じがする。 どこからともなく砧を打つ音がし始めると、そのうちに、あちらからも、こちらからも、聞こえて来る。 あるいは早くあるいは緩やかに、流れるように、走るように、聴く人の心をもまた、その調子に引き込まれる。
私が仁川から京城に移った頃である。夜になるとよくこの砧の音を聴いて、面白いと思っていた。 それからちょっと思いついて作曲する気になったのである。 これが「唐砧(からきぬた)」である。 それは西洋音楽風に、箏と三味線の合奏曲で、四重奏にした。
曲の初めは静かな朝鮮の夜、ことに秋の感じを持たせ、漢江のゆるやかな流れを思わせるような、気持ちを取り入れて合奏曲にしたのである。 これが箏と三味線の合奏の始めであった。そんな動機から作曲を続けるようになった。 (以上は宮城道雄「朝鮮にて」 『新編 春の海 宮城道雄随筆集』千葉潤之介編 岩波文庫2002年11月所収 223〜224頁)
このように、宮城は朝鮮女性から発せられる砧打ちの音を聞いて、名曲「唐砧」を作曲したと自ら記しています。
また宮城は朝鮮の家屋に降る雨の音や、朝鮮の厳しい冬の合間の温かい日(三寒四温)に雪解け水が滴り落ちる音を聞いて、「水の変態」という名曲を作曲します。 これについての宮城自身は次のように回想します。
まず春先になると、色々の鳥が来て囀(さえず)ったり、秋になると様々な虫が鳴いたりした。 その上、雨でも降る時は、家が古かったので、軒の雫(しずく)が落ちるのが聞こえたりした。 一体その頃、朝鮮ではバラック建の家が多くて、屋根はトタンが張ってあるので、雨の時にはそのリズムもはっきりと聞こえる。
内地では五風十雨という言葉があるが、朝鮮では冬三寒四温というのがあって、雪などが降ると、その四温の時に、降り積もった雪が解けてシトシト落ちる雫の音が面白い。 まだ年はいかなかったが、それらのことを実感していたので、弟の歌の言葉(『小学読本』所収の七首の短歌)を聞いて作曲する気になったのである。 (『宮城道雄随筆集』222頁)
宮城の「水の変態」は、私は学校の音楽の時間に聞かされたことがありました。 今もそうなのですかねえ。 おそらく日本のほとんどの方はこの曲名を知らなくても、また邦楽なんか大嫌いだと言う人も、メロディーを聞くと「ああ!あの曲か!」と思い出されるでしょう。 それほどに耳に馴染んでいる曲ですね。 この曲には朝鮮の雨音や雪解け水の雫音が込められているとは、私は近年になって知ったもので、驚いたものでした。
宮城は朝鮮で暮らしながら作曲した当時を、次のように振り返ります。
私は少年の頃朝鮮に育ったせいか、朝鮮の自然の感じを教えられたような気がする。 今でも暇があったら、朝鮮にいって暢(の)んびりと作曲をしたいと思うけれども、朝鮮も今日ではその頃より開けているから、そんな自然の感じがないかも知れぬ。 (『宮城道雄随筆集』224頁)
そして宮城は朝鮮人の音楽的素質について、次のように論じます。
セコメントをする