『毎日新聞』2020年5月7日付けの「コロナショック 相次ぐ偏見、非難、中傷−−『感染差別』との闘い続く」と題する記事を読む。
この記事の最後のところで、社会学者の明戸隆浩さんが次のように発言している部分に、確かにそうだなあと同感しました。
一般に、収入が減ったり、仕事を失ったりして余裕がなくなると排外主義が強まる傾向がある。
これは別に言い換えますと、社会的地位の低い人が「排外主義」になり、差別発言も激しくなる傾向が強いということです。 これによく似た発言をした人が金時鐘さんです。かなり以前ですが、彼は地方新聞紙上で次のようなことを言っています。
(差別の)本当にひどさは、そのことで(被差別者)が自分を省みる内省力がなくなっちゃうことなんだね。‥‥ エゴイズムは差別するものだけでなく受ける側にもある。 むしろその度し難さは受ける側にこそあるというのが私の持論だが、こんなことは随分見てきているし、よく知っている。
どこの新聞か忘れましたが、この発言だけは記録に留めたものです。 「被差別者」とは金さんの場合、在日朝鮮人や部落民らをはじめとする社会的地位の低い者を指しています。 こういった地位の低い人たちがどれほどエゲツない発言をするのか、彼は体験していたのでした。
これは私の体験でも一致します。 若い時に数ヶ月ほどでしたが同和企業でアルバイトしたことがありました。 そこではいわゆる被差別民も働いていましたが、彼らの差別発言がどれほど激しく日常的だったか。 差別発言は被差別者ならば許容されるのだろうか?などと、当時は思ったものでした。
今も鮮明に覚えている発言は、当時ベトナムの結合双生児「ベトちゃんドクちゃん」がテレビで放映されていました。 それを見て「あんなの、治すなんてせずに早く殺したらええねん」と言い、周囲の人たちがそれに賛同したことでした。
その後も社会的底辺にある人ほど、エゲツない差別発言というか、人間の本音を遠慮なくそのまま出すものだということを知りました。 「品」という言葉を使うなら、荒々しく粗野な発言は「下品」な場所で発せられるということになりましょうか。 低学歴で社会的地位の低い人たちは文章を書くこと自体が苦手という場合が非常に多く、だから彼らは口で勝負しようとするのか、荒々しく粗野な発言となるわけです。 ただしこれはそういう傾向が強いということで、みんながそういうわけではありません。
ところでインターネット上で排外主義・レイシズムの匿名投稿がよく見かけますが、この投稿者は、高学歴で社会的地位の結構ある人の割合が高いそうです。 考えてみればその通りで、彼らの多くは誤字・脱字せず句読点などの間違いもなく、そしてそれなりの筋が通るように書けます。 そういった人が匿名となると「下品」な場所に下りてきて、あのような排外主義・レイシズムの投稿をするのですねえ。
毎日新聞で明戸隆浩さんの発言を読んで、昔のこと思い出しながら書いてみた次第。 取りとめのない文章になりました。
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