昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇
2020-03-21


 ちょっと以前ですが、毎日新聞3月2日付の「希望の聖火」という連載記事@は「『多様性』掲げる聖火リレーだが…日本社会の受け入れ準備は十分か 在留資格ない高校生『周りを見渡して』」と題するものです。    [URL]

 この中で在留資格のない外国人高校生の話がありました。 その部分を引用します。

一方で、ガーナ人の両親を持つ東京都内の私立高1年、ミラクルさん(16)は小学3年からバスケットボールに励むアスリートだが在留資格がなく、聖火ランナーへの応募は「私が選ばれるわけがないから」とあきらめた。

ミラクルさんの両親は1990年代初め、就労できない短期ビザで来日し、オーバーステイ(超過滞在)のまま埼玉県三郷市のゴム製品の工場で働いた。母は43歳で出産。高齢で授かった長女を「ミラクル(奇跡)」と名付けた。

転機は2010年1月。家族の将来を考えて、父が外国人登録(制度は12年廃止)したところ不法滞在として入管施設に収容された。帰国するよう命じられたが、ミラクルさんは日本語しか話せず、生活の拠点も長年暮らす日本にある。拒むと収容期間は約8カ月に及んだ。

現在は一時的に収容を停止し、身柄の拘束を解く「仮放免」の状態が続く。原則、毎月入管に出頭しなければならず、住居や行動範囲も厳しく制限される。就労は禁じられ、毎週通うキリスト教会などの支援で暮らしている。

支援団体によると、ミラクルさんは申請すれば「留学」でビザを取得できる。しかし代償として両親は送還される恐れが高い。在留資格がないこともネックとなり、強豪高からの誘いは途絶え、バスケットボール選手になる夢もしぼんだ。

欧州などでは滞在年数など一定の条件を満たせば、在留資格を与えて合法化する「アムネスティ(恩赦)」を実施する国も少なくない。日本の入管法にも在留特別許可の制度があるが、ハードルは高い。移住連の鳥井代表理事は「五輪憲章に『スポーツをすることは人権』とある。東京五輪の開催地にふさわしい状況であるべきだ」と訴える。移民研究を専門とする栢木(かやのき)清吾さんも「外国にルーツのある人々がこの国で生きていく形はさまざまだが、聖火ランナーに選ばれているのは日本で成功した人たちばかりだ。自治体が多様性を装うために都合よく選んだ印象がぬぐえない」と指摘する。

聖火リレーの幕開けを前にミラクルさんは訴える。「多様性を尊重するというならば、周りを見渡してほしい。この世には私たちのような人間もいる」

 以上ですが、これを読んで50年ほど前の1960年代終わりに、ある高校教師から教え子の韓国人が本国に強制送還された話を聞かせてくれたことを思い出します。 その韓国人の両親はともに韓国からの密入国者で、日本で外国人登録を不正入手し、その名前と在留資格で働いて暮らしてきたようです。 子供が生まれ、その子が高校生になって勉強とスポーツに秀でるまでに成長した時点で、両親の密入国が発覚。 一家は強制送還となりました。

 教師は、子供は何も悪いことしていないし、これまでこの学校で一生懸命に頑張ってきたのだから‥‥と、同僚教師と一緒に何とか学校に残れるようにしてくれと奔走したのですが、結局はダメだったとのことでした。 当時(今もそうと思いますが)は強制送還でも自費で帰国するなら、一週間ほどの猶予が与えられました。 帰国の前日に学校に挨拶に来たそうです。 教師は別れに泣きましたが、その子は「私はもともと日本にいてはいけない人間だから」と涙も流さず、気丈に去って行ったそうです。


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