福田徳三が朝鮮独立を支持していた?!
2019-03-10


 『朝鮮日報』2019年2月25日付けの記事で、朝鮮独立を支持した代表的人物として「福田徳三」が挙げられていました。 日本語版にはないので、訳してみました。 誤解のないように、全文訳です。

日帝の堤岸里虐殺を告発した日本の詩もあった   当時の一部の知識人・文人たち     日帝弾圧・植民支配政策を批判

「忽ち砲声、一発、二発。〓 見るまに会堂は死骸の堂宇。〓 尚あきたらずして火を以て見舞う者があった。」

1919年5月22日、日本の英文学者である斎藤勇が「福音新報」に寄稿した「ある殺戮事件」という詩だ。 日帝が1919年堤岸里の住民たちを虐殺した蛮行が知られると、斎藤はこの詩で「アジア大陸の東端で起きた惨事」だと嘆息した。 斎藤のように3・1運動当時の日帝の弾圧と支配政策を批判する知識人や文人が少なくなかったし、光復直後に3・1運動を素材にした日本文学作品も9編になったという論文が発表された。

日本・韓国の近代文学専攻者である芹川哲世二松学舎大学名誉教授は、論文「3・1独立運動と日本文学の関連様相」で「3・1運動当時、日本の民本主義論客や社会主義たちは沈黙していたが、黎明会(日本軍閥の浮上に反対した民主主義的啓蒙思想団体)所属の知識人たちは日本の植民支配政策に強く批判し、一部は朝鮮独立を支持した」と明らかにした。吉野作造と福田徳三が代表的だ。

また堤岸里虐殺が知られた直後、斎藤庫三の詩「殺戮の痕跡」などが発表された。 この論文は、韓・日共同研究書である『3・1独立万歳運動と植民地支配体制』に載った。 (キム・ソンヒョン 記者)

 この記事を読んでビックリしたのが、福田徳三が朝鮮独立を支持したというところです。 福田徳三は朝鮮史に関心のある人なら誰でも知っている経済学者で、日本の朝鮮支配を合理化・正当化したとして、今ではかなり評判の悪い研究者なのですがねえ。

 福田について解説しますと、明治から昭和の初めに活躍し、東京商大(今の一橋大学)教授。 彼の朝鮮に対する考え方は、平凡社『新版 韓国・朝鮮を知る事典』から引用しますと、次の通りです。

ドイツ留学後の1902年、朝鮮、シベリアに出張。2ヶ月ほどの見聞をもとに≪経済単位発展史上韓国の地位≫(1903−05)を執筆。 発展段階説の立場から朝鮮の停滞と封建制の欠如を論じ、ロシアでなく、封建制を経た日本こそが<朝鮮を同化して進歩に導く命運と義務がある>として日本の朝鮮支配を合理化し、のちに<停滞論>とよばれるその朝鮮史観は以後大きな影響を与えた。 三・一独立運動以降は吉野作造らと黎明会を組織して朝鮮人自治を主張したが、独立の実力なしとして朝鮮の独立に反対した。(485頁)

朝鮮前近代史を世界史の発展段階の中に位置付ける試みを最初に行ったのは、日本の経済学者、福田徳三であった。 ドイツの歴史学派経済学を学んだ福田は、自足経済(村落経済)、都市経済(領域経済)、国民経済という世界史の三段階説を前提として、朝鮮は朝鮮王朝末期にいたるまで、自足経済の段階にとどまっていたとしたのである。 そしてそう判断しうる根拠として福田は、第二段階の都市経済を生み出す封建制が、朝鮮の歴史に欠如していたことをあげた。 このような福田の封建制欠如論と停滞論的理解は、日露戦争期にあらわれたものであり、日本による朝鮮植民地化の動きを合理化する役割を果たした。(584頁)

 このように理解されてきた福田徳三が、今回の韓国の新聞記事では「朝鮮独立を支持した」代表的人物とされたわけですから、私はビックリしたのです。 そのネタ元は二松学舎大学名誉教授の芹川哲世氏のようです。 彼の論文を所収する『3・1独立万歳運動と植民地支配体制』は、3・1運動100周年を記念して最近に韓国で出版されたようで、手に入りませんでした。 いずれ入手して確かめたいと思います。


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