昨年米国のトランプ大統領が韓国訪問をした際、青瓦台(韓国の大統領官邸)で開かれた晩餐会に、米国側の要請で脱北青年が招待されて出席していました。 この晩餐会は日本では「独島エビ」や元慰安婦ばかりが取り上げられて、この青年のことはほとんど全く報道されませんでした。 また韓国でもそれほど注目されませんでした。 ちょっと遅くなりますが、約2ヶ月後の1月15日付け『朝鮮日報』にこの青年のインタビュー記事が掲載されました。 日本語版にはありませんが、ちょっと興味深かったので、抜粋して訳してみました。
『朝鮮日報』2018年1月15日付け 「トランプ訪韓当時、国賓晩餐に招待され‥‥“コッチェビ”(北朝鮮で孤児となった浮浪児)出身のイ・ソンジュさん」
昨年11月、ドナルド・トランプ大統領の訪韓当時、青瓦台の公式晩餐に各界の有力人士たちと共に、ある脱北青年が招請された。これまで国賓晩餐に脱北民が出席したことはなく、初めてであった。主人公は「コッチェビ」出身のイ・ソンジュ(31)さんであった。
―彼の父親は、北朝鮮の護衛局所属の少尉だった。1994年、金日成死亡直後に酒の席でしゃべった体制批判的発言が当局に摘発された。ピョンヤンに暮らしていた彼の家族は咸鏡道の鏡成に下放された。飢死する住民らが続出する「苦難の行軍」の時期であった。 1998年、父親は「中国に渡ってお金を工面してくる」といって出かけた後、消息を絶った。そうすると母親が食料を求めて元山にいる妹の家に出かけた。「お腹が空いたら水を飲んでから、塩を必ず舐めろ。一週間したら戻ってくる」という手紙一枚を残して、そうやって出かけた母親は行方不明になった。
―どうして両親は11歳の息子を一人残して、二人とも出ていけるのか?
両親をずっと恨みました。しかし、当時食べるものが尽きた北朝鮮では自然なことでもあります。捨てられた子どもたちは市場で乞食をして、騙して、盗んで、喧嘩する“コッチェビ”として転々としていました。私は同じ年頃の7人と一緒に仲間を組みましたが、二人はぶん殴られて死にました。こんなコッチェビ生活を4年ぐらいした頃。母方のお祖父さんに会いました。ある日、ブローカーがやって来て、「お父さんが中国で待っている」と言いました。
―2002年の冬に、彼はブローカーと一緒に豆満江を渡った。中国のある村に到着すると、直ぐに彼を風呂に入れ、写真を撮った。その後、他のブローカーに彼を引き渡して「遠い所に行かねばならない」と言った。
気配がおかしいので「お父さんはどこにいるのか」と尋ねると、「韓国にいる」と言いました。「韓国はどこか」と言うと、「大韓民国」と言いました。当時は「南朝鮮」とばかり言っていましたから、「韓国」だなんて、どこにあるのか分からなかったのです。ブローカーが「延吉のように朝鮮族が集まっている所」と説明しました。彼が「南朝鮮」と言ったら来なかったです。南朝鮮に行けば、たくさん食べさせてたくさん着せてから、情報を探り出しては血を吸い、肉は犬にくれてやると言われていましたから。
―彼は中国の延吉から汽車に乗って大連に行った。そこでまたブローカーが替わった。
大連の空港まで連れてくれたブローカーは、航空券と偽造のパスポート韓国旅券を渡して、「検査台を通過し、何番出口に行って飛行機に乗ればいい」と言いました。その時はまだ、大連空港は電算化しておらず、偽造旅券が受け付けられたようです。
―仁川空港でお父さんに会いましたか?
入国審査で偽造旅券がバレました。その時まで、私が中国のある年に来ていると思っていました。南朝鮮であることを知って、ひざまずいて「元に返してくれ」と頼み込みました。国情院に引き渡されてから、やっと父親に会いました。
―父親は京畿道平沢で小さなレミコン会社を共同経営いた。彼は中学校に入学し、同級生より3歳年上だった。しかし人民学校4年を終えてコッチェビ生活をしたために、授業についていけなかった。
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