毎日新聞に掲載されている「柳田邦男の深呼吸」というコラム。 紙ベースで発表されて、インターネット版には出てきません。 12月24日付けは「[人間の偏見と差別] 意識改革と政治・教育の責任」と題するものです。 その中で部落問題に関して次のような論を開陳しておられます。
関西のある市を訪ねた時、教育関係者の話を聞いて深刻な気持ちになった。市では人権啓発に力を入れているが、中学生たちの携帯電話の会話では、被差別部落の生徒を差別し中傷する言葉が頻繁に交わされているという。誰が被差別部落の子かは公表されていないのに、親たちが陰で子どもたちに話しているのだ。
ここにある「誰が被差別部落の子かは公表されていないのに、親たちが陰で子どもたちに話しているのだ」という言説にビックリしました。 柳田さんは、部落の子かどうか分からないのに親たちがあの子は部落だと陰でこそこそ教えている、と想像されています。 そしてこのような実態からかけ離れた想像をしたから、部落でない一般の親たちを差別者であると決めつけて批判をしたと思われます。
まず「誰が被差別部落の子かは公表されていない」とありますが、同和教育(解放教育)の先進的に取り組んでいる学校では公表されていました。 部落子供会活動や補充学級は部落の子供しか入れませんが、この活動に学校は公的・積極的に支援していました。 当然部落の子であることを公表するすることになります。
同和教育の実践校では、部落の子供たちが解放運動に参加することが容認、あるいは奨励されました。 子供たちは解放運動のスローガンが書かれた黄色いゼッケンつけて登校することがしばしばだったし、学校を休んで狭山闘争のデモに参加したりしたものでした。
また「人権啓発に力を入れている」市であれば、同和地区には解放会館(地方によって呼び名が違います)という公的施設がそういう看板を堂々と掲げており、またその周辺には市営住宅(同和住宅・解放住宅)があります。 この市営住宅には部落の人しか入れませんので、ここに入居していること自体が部落民であることを公表していることになります。 学校で子供同士が「どこに住んでいるの?」と聞くのは自然な会話ですが、その住宅に住んでいるという事実自体が部落民の公表になります。
学校では部落の子供たちに限って、ノートや鉛筆などの学用品を無料で配布していました。 学校生活では他の子供たちが当然それに気が付きますし、当の部落の子供たち自身がそれを隠しません。 部落の子供たちは「うちらはタダで貰って当たり前」と発言して物を粗末に扱い、他の子供たちは「あんたらいいねえ、タダで貰えて」と妬み発言をします。
解放運動が瓦解した今ならば分かりませんが、かつて解放運動・解放教育の盛んな時代にはそういう実態がありました。 子供たちは親から教えられずとも、あの子は部落だということを学校が教えていたし、また部落民自らも名乗り行動していた、そんな時代がつい十年ほど前までにありました。
柳田さんの「誰が被差別部落の子かは公表されていないのに、親たちが陰で子どもたちに話しているのだ」発言は、その無知ぶりにビックリしました。 この発言は部落でない一般の父母たちを差別者だと決めつけて一方的に非難するものです。
【拙論参照】
差別問題の重苦しさ [URL]
(続)差別問題の重苦しさ [URL]
闇に消えた公金―芦原病院・同和行政 [URL]
松岡徹さん [URL]
これが「真摯に反省」? [URL]
飛鳥会事件―「心から謝罪」は本当か? [URL]
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