二人とも健康な肉体の主人公だった。 彼らの夜は激烈だった。男は外から帰って土ほこりの付いた顔を洗っても、何かもどかしくて急いで女を押し倒すのは毎回だった。 初夜を持った後の二ヶ月あまり、女はもう喜びを知る体になった。 女の清逸な美しさの中へ、官能は香ばしく豊穣に染み込んだ。 その成熟は歌を歌う女の声の中にも豊かに染み入り、今は女が歌を歌うのではなく、歌が女に吸い取られるようだった。 一番喜んだのはもちろん男だった。 (申京淑「伝説」〈『ずっと以前に家を出た時』創作と批評社240〜241頁〉1996年9月)
次に三島由紀夫を韓国語に翻訳した文です。 1980年代に韓国では世界文学全集に採録されていました。 これも直訳です。
二人とも実に健康な若い肉体の所有者だったせいで、彼らの夜は激烈だった。 夜だけでなく、訓練を終えて土まみれの軍服を脱ぐ間すらもどかしくて、帰宅するや否や妻をその場で押し倒すことは一度や二度ではなかった。 麗子もよく応じた。初夜を送って一ヶ月が過ぎるかどうかの時、もはや麗子は喜びを知る体になり、中尉もそんな麗子の変化を喜んだ。 (三島由紀夫、金フラン訳「憂国」〈『金閣寺、憂国、宴のあと』主友世界文学全集二〇 233頁〉1983年1月)
それでは三島の原文はどうなのか。
二人とも実に健康な若い肉体を持っていたから、その交情は激しく、夜ばかりか、演習のかえりの埃だらけの軍服を脱ぐ間ももどかしく、帰宅するなり中尉は新妻をその場に押し倒すこと一再でなかった。 麗子もよく応えた。 最初の夜から一〓月をすぎるかすぎぬに、麗子は喜びを知り、中尉もそれを知って喜んだ。 (三島由紀夫「憂国」〈『花ざかりの森・憂国』新潮文庫 1968年9月)
事実関係は以上です。これはやはり申京淑の盗作と言わざるを得ません。 申京淑は「三島由紀夫の『憂国』は読んだことがない」と主張し、出版社の創批社が「三島の作品より申の作品の方が文学性に優れている」と居直ったことから、騒ぎがさらに大きくなったという経過です。
結局は、申も出版社も盗作を認めたのですが、後味の悪い事件でした。
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