古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(4)
2014-03-26


 先に朝鮮朱子学の階級差別思想を概説し、華夷思想を説明しました。 華夷思想は異民族への差別思想ですが、国内では同一民族でも「君子(両班)」「小人(常民)」という階級差別思想があることは既に触れました。今度はこの階級差別の実態がどういうものだったか、李朝末期に朝鮮を旅行した英国人女性旅行家イザベラ・バードの記録がありますので紹介します。

朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある。 両班はみずからの生活のために働いてはならないもので、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。 両班は自分では何も持たない。 自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。 慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、おおぜいのお供をかき集められるだけかき集めて引き連れていくことになっている。 本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。 従者たちは近くの住民を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。‥‥(イザベラ・バード『朝鮮紀行』時岡敬子訳 講談社学術文庫 137頁)

非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられている夥しい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目のもとに無慈悲な取り立てを行なう両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。 商人なり農民なりがある程度の穴あき銭(銅銭)を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。 これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男はにせの負債をでっち上げられて投獄され、本人または身内の者が要求額を払うまで毎日鞭で打たれる。 あるいは捕らえられ、金が用意できるまで両班の家に食うや食わずで事実上監禁される。 借金という名目で取り立てを装うとはまったくあっぱれな貴族であるが、しかし元金も利息も貸し主にはもどってこない。 貴族は家や田畑を買う場合、その代価を支払わずにすませるのがごく一般的で、貴族に支払いを強制する高官(警察)など一人もいないのである。(同上 138頁)

 この本はイザベラ・バードが120年前の日清戦争の頃に朝鮮を実際に旅行して見聞したことを書いたものです。 彼女は鋭い観察力、事実の正確さ、推論の適切さに秀でており、両班と常民を描いたこの部分も事実と見ていいものです。

 両班(君子)は「学問と徳を修め、礼法を守る」という自らを課している道徳に反しているのではないかと感じたならば、それは現代人の発想です。 儒教礼学を実践する両班は、儒教を知らない常民(小人)とは対等ではあり得ず、一方的に支配し服従させるものなのです。 買えばお金を払う、借りたものは返す、という現代では当たり前の倫理は、両班と常民との間では成立しなかったのです。 常民は両班の無理難題に黙って従う、それが朝鮮の中世社会です。

 そして儒教を修め礼法を実践する両班らは、常民たちに儒教を教えてやらねばならないと使命感に燃えます。 古田さんは次のような歴史事実を記しています。


続きを読む


コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット