鄭さんはかつて行われた日韓歴史共同研究について、次のように振り返ります。
1、2期韓・日歴史共同研究委員会の最も大きな争点は教科書だったという。我々側は出発時から日本の右翼が挑発した教科書問題を、共同研究を通して解決あるいは緩和することを望んだが、日本側は教科書問題を扱うこと自体を避けたという。「1期の時は日本側が教科書問題を扱わないようにしようと強力に主張し、古代、中近世、近現代の三つの分科会だけで運営しました。しかし2期の時は我々が強力に要求し、教科書分科会を作ることにしました。しかし日本側は教科書執筆者たちの立場を考慮せねばならないといって、教科書の内容自体には触らないようにしようと言ったのですよ。(『週刊朝鮮』2283号 35頁)
「共同研究委員会の報告書を市販しないようにしようと言うぐらいに、日本の学者たちは歴史問題で間違いをしたら脅迫を受けることがあるという憂慮をします。だから日本側は2期共同研究委員会で教科書分科会を作ることはしましたが、両国の教科書制度のようなことだけを扱おうとしたんですよ。」(35頁)
2007年6月出帆した2期共同研究委員会では、両国の学者たちが激烈にケンカしたことも多かったという。教科書問題による葛藤もあったが、人的構成でも出発から難航が少なくなかったということだ。「2期は韓国の盧武鉉政権と日本の安倍1期政権の時に出帆したんですが、激しいケンカの様相でした。日本では盧武鉉政権が日本に批判的な民族主義性向や運動圏出身の学者を布陣させたという疑いを持っており、これに対抗して日本側も強硬な学者を布陣せねばならないという声が出てきました。特に歴史教科書に関心が多かった安倍総理の右派性向の‘新しい歴史教科書の集い’など、自分の気持ちに合う学者たちを共同研究委員会に入れようとしたりして、これに反発して日本側の委員長内定者が辞退する事態も起こりました。日本の学者たちも‘一言は言ってやろう’という雰囲気だから、最初から手続き上の問題などでケンカすることが多かったんですよ。」(35〜36頁)
教科書問題では、韓国側は日本の「右派」的教科書を排除させるという意図があり、一方日本側は両国の教科書を等しく取り上げようとしました。だから最初から意見が食い違い、かなり紛糾したようです。しかし鄭さんはこれまでの経験から、次回の共同研究では日本側を説得できるものと思っているようです。
鄭教授はこれから朴大統領の提案通りに共同歴史教科書を作るための作業が始まるとしても、韓・日歴史共同委員会1、2期の成果を引き継ぐ3期委員会が主軸となるのが望ましいと強調した。「2期まで積み上げた成果はこれから生産的議論が可能な土台です。これを簡単に無視して、再び原点から始めるならば、またケンカを繰り返す憂慮が大きいです。特に1、2期に参加して日本側を説得するノウハウを持った人たちが3期にも参加するのが望ましいです。」(36頁)
次回の共同研究委員会は、韓国側は日本を説得できる方法を知っているとして、これまでと同じメンバーで臨むようです。おそらく鄭さんは、日本側がこれまでのようなズケズケ言うような歴史家は参加しないだろうと踏んでいるものと思われます。
1、2期歴史共同研究で鄭さんが討論した相手の日本側の学者さんの一人が古田博司さんです。古田さんはこのごろ産経新聞だけでなく、いわゆる嫌韓雑誌にもよく投稿されていますが、そこに出てくる鄭さんに対する感情はなかなか厳しいものです。最近出た『WILL』2014年1月号に、古田博司さん「否韓三原則を貫け、安倍総理」と題する論考がありますが、そのなかで鄭さんについて次のように書いています。
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