『言葉のなかの日韓関係』(7)
2013-04-21


 金貞禮「なぜ韓国人はハイクに魅かれるのか」によれば、韓国では俳句が最近になって評価されてきているようです。それ以前の状況については、金貞禮は次のように分析しています。

一般的に韓国人が考える「詩」とは、詩人の「志」がよみこまれるものであって、イメージだけのこのような詩(俳句)にはあまり共感できなかった‥‥とくに、自分の「志」をよみこむのにはあまりにも短い17音節の定型詩で、どこか型にはまったような音数律だけのこの詩型の堅固さに抵抗感があった‥‥それにその詩型が「日本を代表する伝統詩」となると、抵抗感は増すばかりであった‥‥しかしながら、近代を代表する英米詩人の目というプリズムを通して、一種の純化過程を通過して韓国に入ってきたとき、俳句はどこか奥深い、神秘的な詩になったのでないか。 (188頁)

 日本の俳句は、韓国人は植民地時代に当然に接していたはずですが、それを通しては俳句に共感することができず、英米を通してようやく共感できるようになったということです。なるほど、日本から直接ではなく、先進国と考えられた英米で評価されているから、そこを通して入ってきたというのは、十分にあり得ることでしょう。

 韓国人は日本の文化に対して優越感を持とうとするのか、かなり低く評価する傾向があります。時には露骨な侮辱の言葉も投げ掛けることもあります。そんな風潮を持つ韓国人に日本文化を理解してもらう方法として、英米での評価事例を提示するのがいいのかも知れません。

 金貞禮は韓国で俳句が評価されるようになった理由として、もう一つ韓国社会自体の変化を挙げます。

韓国社会の変化、いわば1980年代までの巨大言説が政治の民主化とともに変化を遂げてきたこととの関係も指摘できよう。たとえば、1990年代の初頭、日航財が主催する「世界こども ハイク コンテスト」の審査委員であった佐藤和夫先生から「韓国の子どもたちの俳句はスローガンみたいでおもしろくない」と言われたことがある。どういうことかと聞き返すと、韓国の子どもが作った俳句には「親には孝行、国に忠誠、火の用心」のように自分の思いがたっぷり入っていて「叙情性が足りない」ということであった。私は思わず納得してしまった。そもそも韓国では「詩」というのはそういうものであったからである。花鳥風月ばかりよむのは、吟風弄月といって排斥された。いつも世間に向かって目を大きく開け、自分で洞察したことを言葉で表現し、大衆を悟らせることが、長い間、韓国で詩人と詩に担わされた使命であった。私はコンテストの審査員としてスローガンぽいハングル ハイクをよみながら、いかにも韓国の子どもらしいと思ったのであった。このような現象は、当時の大学講義室でもあまり変わりはなかった。大学生たちも自分の意見を言葉でいわないで、「もの」だけを並べたり「叙景」ばかりで描くようなハイクに、あまり興味を示さなかったのである。  それから20年ほど過ぎた今、韓国の大学講義室で東アジアの定型詩のなかでもっとも人気があるのがハイクのようだ。 ‥‥遡っていけば、あの昔、連歌へ向かって俳句がやっていたことを、今の韓国の若者は、日本の俳句に向かってやっているのだ。彼らは、軽くなおかつ明るく楽しく、お隣の詩型を持って話しかけているのである。(198〜199頁)

 韓国では今ようやく、若者のなかで日本の文化を素直に共感できるようになってきているようです。このような動きがもっと広く大きくなればいいと思います。


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