三年前、韓国に行った時、李方子(イ・パンジャ)さんの墓所を参拝しました。
李方子さんの日本名は、梨本宮方子さんです。この方について、ちょっとお話します。
まずは朝鮮の歴史のおさらいです。朝鮮は1910年に日本に併合されて植民地となるのですが、その前は大韓帝国という国で、皇帝や皇太子がいました。日本の植民地となって帝国でなくなりましたが、王室は存続しました。
植民地化された朝鮮と、支配者側である日本とは、感情的にもかなりの対立があったので、これを何とかしよう、日本と朝鮮とが仲良くしていくようにしようと、当時の言葉で「内鮮融和」が大きな課題となっていました。その時に、朝鮮の王室の方と日本の皇室の方が結婚したらいいじゃないか、ということで、朝鮮の王室からは最後の皇太子であった李垠(り・ぎん イ・ウン)氏、日本の皇室では梨本宮方子さんが選ばれました。 お二人は1919年の三・一独立運動の翌年1920年に結婚されました。悪い言葉でいうと、政略結婚です。梨本宮方子さんは李方子(り・まさこ)あるいはイ・パンジャさんとなりました。 お二人は皇族に準ずる扱いを受けて、東京に住まわれて、お二人のお子さんを設けられました。そのうちのお一人は生まれてまもなくお亡くなりになりました。1945年に日本の敗戦、朝鮮の解放独立となりました。
解放後、朝鮮の北では社会主義を選択したので君主制の否定は当然ですが、南の韓国、李承晩政権も君主制を否定しました。朝鮮王室の財産だけでなく王族の個人財産も含めてすべて没収したのです。代わりに生活費を支給しなければならなかったのですが、李承晩政権は一切出しませんでした。そして東京におられた李垠・李方子さんの帰国を拒否したのでした。当時日本では、皇族・貴族の臣籍降下が行われて、李夫妻は一般人になられました。しかし祖国に帰ることもできず、皇族待遇だった人がいきなり一般社会に入られましたので、詐欺師にあったりして、多額の借金を作ってしまい、かなりの苦労をされました。
韓国では李承晩政権が倒れ、朴正熙政権になって1963年にようやく帰国することができました。
1970年に夫の李垠氏が亡くなり、お一人になられた李方子さんは、韓国で障害者福祉に力をお入れになられます。自分の得意とする七宝焼きを作って売ったり、教えたりしてお金を稼ぎ、障害者福祉施設を作られました。当時の韓国は非常に貧しく、障害者に目を向ける人がほとんどいなかった時代です。そういう韓国社会のなかでの障害者福祉活動でしたから、非常に苦労されたようですが、李方子さんは韓国の多くの人々から慕われました。
1989年、昭和天皇が亡くなられた年に逝去され、ソウル郊外の南楊州という所にある李垠氏のお墓に一緒に葬られました。
日本と朝鮮との複雑な歴史のなかを、翻弄されるように生きてこられ、最後は韓国社会に貢献しつつお亡くなりになったのですが、こういう方の生涯を知ると、ちょっと思うところがありましてお墓参りしたというわけです。
地元の方に聞くと、年に一回の墓前祭に日本大使館の方が参る以外は、日本人が来ることはないということでした。
多くの日本人が、李方子(イ・バンジャ)さんのお墓参りをしてあげてほしいと思います。
(以上を韓国語に翻訳したものを、本ブログの直前記事に掲載しています)
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