『朝鮮日報』のお粗末記事―歴史資料の誤読
2012-10-22


 10月15日付の『朝鮮日報』A13面に

独島強制編入3年前である1902年 日本の公文書では‘独島は欝陵島に付属する島’ 日本の外務省史料館で発見

という見出しの記事が掲載されています。日本語版では次のように翻訳されています。

「独島は鬱陵島の付属島しょ」 日本の公文書に記録       日本が独島(日本名・竹島)を島根県に強制編入する3年前の1902年に独島を鬱陵島の付属島しょと認識していたことを示す日本の公文書が初めて公開された。     問題の文書は、1902年5月に釜山の日本領事館が本国に送った「釜山領事館報告書」と題する文書で、独島を「松島」「リャンコ島」など呼び、鬱陵島を独島の本島だと認識する内容だ。この史料は在日韓国・朝鮮人史を研究する朴炳渉(パク・ビョンソプ)氏が日本の外務省外交史料館で発見したもので、世宗大の保坂祐二・独島総合研究所長が入手したものを14日、本紙に公開した。     報告書の「第七、漁業の状況」(原文は歴史的仮名遣い、以下同)という部分には「本島(鬱陵島)の正東(真東)約五十海里に三小島あり俗に之(これ)『リヤンコ島』と云(い)い、本邦人は松島と称す」とした上で、同島では多少のアワビが取れるため、本島より出漁する者があるが、島には飲料水がないため、長期の出漁は不可能であり、4−5日で本島に戻るという記述があった。     これまで日本は1905年の島根県告示で、無主地だった独島を編入したと主張してきた。         蔚山大のシン・ヨンハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は「1900年に大韓帝国が政令第41号で、鬱陵島を本島として、竹島、石島を含む鬱島郡を領土として公表している。02年の日本の警察による報告書でも鬱陵島を本島と呼び、独島を付属島しょとして記録している。これは当時の独島が韓国の領土であることを間接的に証明するものであり、大きな意味を持つ」と指摘した。     全炳根(チョン・ビョングン)記者

[URL]

 要するに、欝陵島は「本島」、竹島(独島)はその付属島嶼と書いている日本の公文書が見つかった、日本も竹島を韓国領と認めていた資料だ、というものです。そしてその資料の写真が添付されていました。(↑)参照

    この資料は写真では分かり難いので、活字に直しますと以下の通りです。ついでに現代語訳もしてみました。

第七、漁業ノ状況     本島ノ漁業季節ハ例年三月ヨリ九月迄ニシテ収穫物ハ鮑、鯣、天草、若芽ノ数種ニ過キス、漁業者ハ多ク熊本ノ天草、島根ノ隠岐、三重ノ志摩地方ヨリ渡来ス。而シテ韓人漁夫ハ皆無ノ有様ナレトモ、毎年全羅道三島地方ヨリ多数ノ漁夫等渡来シテ海岸ニ満生スル。若芽ヲ採収セリ。本年天草隠岐ノ漁業者都合水潜器船八隻、道洞ヲ本據ト定メ、又志摩ノ蜑船二隻、天草ノ海士舟一隻ハ苧洞ニ仮小屋ヲ構ヘ、何レモ全島ノ海岸ヲ巡漁セルモ今年ハ昨年ニ比シ余程不漁ナルニヨリ利潤多カラサル見込ナリト云エリ。又本島ノ正東約五十海里ニ三小島アリ。俗ニ之ヲ「リヤンコ島」ト云ヒ、本邦人ハ松島ト称ス。仝所ニ多少ノ鮑ヲ産スルヲ以テ本島ヨリ出漁‥‥


続きを読む


コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット