韓国の歴史には、楽浪がない
2010-05-13


 韓国の博物館を巡って、韓国の歴史の概説において大きな違和感を感じることが、いくつかあります。その一つが、楽浪等の漢四郡が全く欠落していることです。

 漢四郡とは、漢の武帝が前108年に、朝鮮半島北部を中心に領土を有していた衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・臨屯・玄莵の四郡を置いたもので、特に楽浪が栄えました。楽浪郡の郡治は今の北朝鮮、平壌にありました。    楽浪は313年に高句麗に滅ぼされるまで、約400年間存在し、その間に帯方郡を分立しました。帯方郡は、邪馬台国に都を置いた卑弥呼が使節を往来させたところで、日本史では有名で、我々には馴染みのものです。

 この楽浪等が、韓国史に出て来ないのです。これは、楽浪等が中国人の国家の一部であって、朝鮮民族(あるいは韓民族)の国ではないからです。

 つまり韓国において、韓国史とは民族の歴史であって、朝鮮半島という地域の歴史ではない、ということなのです。そのため、楽浪等は朝鮮で400年もの間、中華文明の花を咲かせていたにも拘わらず、全く無視されてしまっているわけです。

 自民族ではないにしても、現在の自分たちの地域にかつて存在した文明・文化を、まるで何もなかったの如く扱うのはいかがなものか、と思います。

 北朝鮮では、楽浪は朝鮮民族の国家だという説が掲げられ、ビックリさせられますが、韓国も似たり寄ったりかな、と思うところです。

(参考) [URL](このなかの註)

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