徐正禹氏(企業に脅威を感じさせ‥企業からの資金提供は、多額であればあるほど効果)
2008-07-21


また、人権運動体がこのようないかなる場合でも、金銭にかかわるべきではないとする考えが支配的であるのも事実である。そのような考えが生まれたのは、同和事業の経緯に発端が求められる。大阪では、同和事業は当初、部落解放同盟の各支部が直接執行していた。行政の同和事業が運動体である部落解放同盟支部に委託され、支部が事業を執行していたのである。しかし、後に特定団体に行政事業を委託することが議会で問題にさたことから、部落解放同盟支部とは別に、行政、有識者を交えた事業団体を設置し、同和事業は行政の外郭団体としての事業団体を通じて執行するという方式をとったのである。いわゆる運動と事業の分離である。しかし、これはあくまでも、事業を迂回し、形式上外郭団体を通しただけのことであり、実質的には、部落解放同盟が事業団体のイニシアティブを掌握し続けたのである。しかし、後にこのことが、拡大解釈され、運動体が金を扱うべきではないことがあたかも運動原則のように拡散したのである。この迂回方式は運動財源が組織大衆に見えず、また公開もされないことから、組織のもうひとつの裏の財源となり、後に「不祥事」の原因となった。このような経緯を改めて検証し、組織財源は組織の構成員に全面公開すべきとの原則に立てば、むしろ迂回方式という手法ではなく、企業、行政からのあらゆる資金は、運動体が直接これを管理し、そのつど公開する手法に転換すべきである。問題のポイントは、全面的な情報公開と、意見の違いについては公の場での討論に委ねること。この2点である。

 要するに、企業からの資金提供は、マイナス面の可能性もあるが、しかし、それは闘う側の姿勢の問題であって、仮に反社会的な行為を繰り返す運動体であれば早晩その運動体は信頼を失い、従って運動体足りえなくなる。つまり社会的に淘汰されるのである。暴力団がエセ行為を行っているとしても、それは全く別の問題であって、論外というべきである。

 結論として、企業からの資金提供は、それが社会貢献としての寄付であれ、差別したペナルティであれ、マイナス面を補ってもなお民族差別撤廃運動には有効であると考えるべきである。要は完全な透明性の確保、説明責任、それに第三者監査の有無である。>


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