1980年代、解放運動が部落差別は全国津々浦々にあるとして、差別を掘り起こす活動をしていました。その時、「東京でも部落差別がまかり通っている」というような主張をしていました。
しかし東京に住んでいる人は、ほとんどすべてが「部落」「同和」を見たこともなく、「差別がまかり通っている」と言われても、一体どこの世界?というような反応でした。
それ以来「差別がまかり通っている」という主張は、どこの地域であれ、またどんな種類の差別であれ、何らかの意図があって「差別」を言いつのるものでないかと考えています。
在日のことでも、「朝鮮人差別がまかり通っている」という主張は民族差別と闘う運動団体が主張していました。その代表の一人であったYさん(大阪出身の在日)を思い出します。彼は今はお亡くなりになりましたが、著作や翻訳がいくつかあります。
彼の奥さんも北海道出身の在日で、Yさんとは大学時代に知り合い、大阪に住んでおられました。 その奥さんは、「大阪では差別がまかり通っている。だから闘うんだ」という活動家のご主人の意見に当惑していました。奥さん曰く
「大阪って怖いところでしょう。朝鮮人だからといって差別する人がいっぱいいるんでしょう。北海道ではそんなことする人は誰もいませんでしたよ。子供が出来るというのに、不安でたまらない。主人には一緒に北海道に帰りましょう、と言っているのですが‥。」
しかし実際に大阪に住んでみると、差別する人はおらず、「ぜんぜん違うじゃない。」とおっしゃって、そのまま住み続けておられました。
結局、「差別がまかり通っている」という主張は、差別問題に取り組む団体が、自らの存在をアピールするための極端な表現、あるいは虚偽であったと考えています。
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